『豊臣兄弟!』夫は囚われ、幼い息子は処刑命令…黒田官兵衛(倉悠貴)を支えた正室・櫛橋光、波乱の生涯
大河ドラマ「豊臣兄弟!」第21回放送「風雲!竹田城」で初登場して以来、若き軍師として異彩を放ち、視聴者の注目を集めている小寺官兵衛(黒田孝高。倉悠貴)。
官兵衛には櫛橋光(くしはし みつ)という妻がおり、後世に残る夫の活躍をしっかりと支えました。
今回は彼女について紹介。果たして大河ドラマ「豊臣兄弟!」には登場するでしょうか。
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竹中半兵衛と対面する黒田官兵衛。果たして二人の関係は?NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
櫛橋光は天文22年(1553年)に播磨国志方城主(兵庫県加古川市)を務める櫛橋伊定(これさだ)の娘として誕生します。
戦国時代としては珍しく本名が伝わっており、読みはこれまで「てる」だと思われていました。しかし菩提寺の蔵書から「ミツ」と読み仮名が振られた古文書が発見され、今日では「みつ」が定着しつつあるようです。
永禄10年(1567年)に黒田官兵衛と結婚、黒田松寿丸(しょうじゅまる。のち黒田長政)と黒田熊之助(くまのすけ)の二男を授かりました。
松寿丸を16歳の永禄11年(1568年)、熊之助は30歳の天正10年(1582年)で産んでいますが、かなりの年齢差に驚きます。
もしかしたら、松寿丸を産んだ後も次男を生むよう、周囲から圧力をかけられていたのかもしれませんね。
しかし官兵衛は光の他に女性を娶ることはなく、戦国時代には珍しい一夫一婦制を貫きました。
現代の価値観であれば正妻一筋の素晴らしい夫と言えますが、男児を多くもうけることが当主の務めであった当時、よほどの考えがあったのでしょうか。
あるいは、才徳兼備と称えられた光に匹敵する女性が見つからなかったため、官兵衛が他の女性に興味を持てなかったのかもしれません。
さて、夫の官兵衛は織田信長(小栗旬)の器量を見込んで、主君の小寺政職(こでら まさもと)に臣従するよう進言します。
しかし実家の兄・櫛橋政伊(まさこれ)らは信長を快く思っておらず、天正6年(1578年)に播磨国の別所長治(べっしょ ながはる)が織田に叛旗を翻すと、政伊らもこれに呼応しました。
信長はただちに次男の織田信雄(のぶかつ/のぶお)を派遣し、志方城を包囲させます。政伊は同年8月10日に降伏し、城兵の助命と引き換えに自害して果てたのでした。
いっぽう夫の官兵衛は、謀叛を起こした荒木村重(トータス松本)を説得するため、有岡城(伊丹城。兵庫県伊丹市)へ赴きます。
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これを知った竹中半兵衛は松寿丸を匿い、そのお陰で、生還した官兵衛は無事に我が子と再会できたのです。
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光は秀吉に対する人質として差し出され、他の大名妻子と同じく大坂に預けられたと言います。
天正18年(1590年)に秀吉の天下一統が成し遂げられ、しばらく心安らかに暮らしていたであろう光たちに、突如として不幸が襲いました。
夫と二人の息子に先立たれる時は慶長2年(1597年)7月16日、次男の黒田熊之助が無断で朝鮮への渡海を試み、嵐に遭って遭難死してしまったのです。
享年16歳、兄の黒田長政と共に第二次朝鮮出兵(慶長の役)に従軍できなかったことを嘆いて、抜け駆けの武功を図ろうとしたのでした。
この時に同船していた加藤吉松(かとう よしまつ)・木村紹宅(きむら じょうたく)・母里吉太夫(もり よしだゆう)ら3名も共に溺死してしまったと言います。光は熊之助の死を深く悲しみ、丁重に菩提を弔ったことでしょう。
ちなみに夫の官兵衛や嫡男の長政は洗礼を受けてキリシタンに改宗しますが、光だけは浄土宗の信仰に厚かったことから、家族たちとは信仰を別にしたといいます。
慶長3年(1598年)に秀吉が世を去って豊臣政権が揺らぎ、石田三成(松本怜生)と徳川家康(松下洸平)が政権を二分する抗争を繰り広げると、三成は大名たちの妻子を人質にとろうと図りました。
光や栄姫(えいひめ。ねね姫、長政室)は黒田家臣の栗山利安(くりやま としやす)・宮崎重昌(みやざき しげまさ)・母里友信(もり とものぶ)らによって救出され、三成の魔手を逃れたのです。
慶長9年(1604年)3月20日に夫の官兵衛が先だったため、出家して夫の菩提を弔いました。嫡男の長政も元和9年(1623年)8月4日に先だってしまい、孫である黒田忠之(ただゆき)の成長を見守ったことでしょう。
そして寛永4年(1627年)8月26日に75歳で世を去りました。戒名は照福院殿然誉浩栄大尼公(しょうふくいんでん ぜんよこうえい だいにこう)。墓所は京都の報土寺(京都市上京区)・福岡の崇福寺(福岡市博多区)と圓應寺(福岡市中央区)に祀られ、今も人々を見守っています。
終わりに今回は黒田官兵衛の正室・櫛橋光について、その生涯をたどってきました。
果たして大河ドラマ「豊臣兄弟!」には登場するのか、あるいは割愛されてしまうのでしょうか。
そして登場するなら、誰がキャスティングされるのかも注目です!皆さんなら、どう予想しますか?
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播磨学研究所 編『稀代の軍師黒田官兵衛』神戸新聞総合出版センター、2008年4月 『別冊歴史読本01 黒田官兵衛歴史読本』角川書店、2013年12月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan




