朝ドラ『風、薫る』別れの時へ…バーンズ先生が残した名言と軌跡━━実在モデルが日本に残した偉業

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朝ドラ『風、薫る』別れの時へ…バーンズ先生が残した名言と軌跡━━実在モデルが日本に残した偉業

2026年3月末からスタートしたNHK朝ドラ「風、薫る」もそろそろ前半終盤に。
今までさまざま出会いと別れがありました。

6月15日(月)から始まった第12週のテーマは、その名も『旅立ち』です。

喜び・悲しみ・苦しみの感情や、看護婦に対する差別や偏見を味わったヒロインたちも養成所を卒業する「旅立ちの時」が訪れます。それと共にバーンズ先生(エマ・ハワード)とはお別れの予感も……。

以前、バーンズ先生は「実在したナイチンゲールの教え子、アグネス・ヴェッチがモデルでは?」とご紹介しました。

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初登場時は厳格で近寄りがたいオーラを放つ人でしたが、登場回数を重ねるごとに、するどい観察眼・胸に響く名言・時折見せる策略家な部分など、人としての魅力を感じるようになりました。

アグネス・ヴェッチは、明治時代、医師ですら知らない西洋式の「看護」の種を日本に植え、芽吹かせ、大輪の花を咲かせた人。今私たちが当たり前のように病院で受けている「看護」は、この人無しでは語れません。

バーンズ先生が残した名言と軌跡を振り返りつつ、ときの明治皇后も感動したアグネス・ヴェッチが日本に残した偉業をドラマと原案小説を比較しつつ紹介します。

看護教育の先駆者、アグネス・ヴェッチがモデルとされるバーンズ先生(NHK「風、薫る」公式「X」より)

※現在は「看護師」という名称ですが、この記事では当時の名称に合わせ「看護婦」と表記しています。
※本記事では登場人物のモデルとされる実在人物を紹介していますが、ドラマ上の人物設定や物語展開は創作を含むため、実在人物の生涯・経歴とは異なる場合があります。

帝都医大病院のやり方に立腹したバーンズ

先週金曜日の回で、バーンズ先生は帝都医科大附属病院(現在の東大病院)の院長・多田重太郎(筒井道隆)から、「病院内に看護科を設立する。二期からの梅丘看護養成所の学生は受け入れられない」と伝えられます。

「現在の看護学生が優秀なら今後も受け入れるという話だったのでは?」と怒るバーンズ先生。当然ですよね。

「学生が優秀なので、当院でも看護科を設け看護学生を育てるべきという話が内部で出た」と院長。しかも「一期生を当院で雇う話も無くなった」と。

多田重太郎の実在のモデルは、東大病院の初代外科学教授・院長の宇野朗、日本初の医学博士・三宅秀ではないか、といわれています。両者の人柄まではわかりませんが、ドラマの多田院長は約束を反故にしても平気なタイプ……なのでしょうか。

看護実習生を引き受けたところ、

▪️学生による華族の患者の付き添いが成功、上流階級で“看護婦”への評判が高まりお金持の患者が増えた

▪️遊女・夕凪の事件記事が新聞に載り世間の注目を集めた

これらで「今、院内で看護科を作れば希望者が増える」「看護婦が増えれば金持ちの患者が集まる」と考えたのでしょうか。

実際、『明治女性史』では「東大附属病院では当初看病婦のなり手がなかったので、やむを得ず吉原の遣手婆さんを連れてきた」とあります。多田院長は経営者として「院内看護科プロジェクトの商機!」と思ったのかも。

何もかも、バーンズ先生や看護学生たちのおかげなのに「次はうちでやります」では、「院長よ、仁義に欠けやしませんかぃ?」と思ってしまいました。この先、病院の経営陣らは学生たちの就職先を考えてくれるのでしょうか。

それとも、バーンズ先生が……。

院長と副院長の「院内看護科設置」計画を察知したバーンズ先生(NHK「風、薫る」公式「X」より)

鈴木雅を自分の後継者に考えていたアグネス・ヴェッチ

ドラマでは、梅丘看護養成所で梶原敏子校長(演:伊勢志摩/モデルは矢嶋楫子)が「養成所は閉所することになった」と皆に伝えました。

「この時代、『看護』というものを知らなかったのは、帝都医科大附属病院の医師も一緒だったのでは?学生の皆さんが優秀だったのを見て『学校内でも育てよう』となったのではないか。それは誇らしいことです」と言います。

梶原校長の言葉は素敵なのですが、やはり病院側に約束を反故にされたのは無念だったのではないでしょうか。

原案小説によると……

実際、6人の看護学生(ひとりは退校)、明治21年(1888)10月26日に梅丘看護養成所のモデルである桜井女学校附属看護婦養成所を卒業。この年は、慈恵看護婦養成所や京都看護婦養成学校でも最初の卒業生を輩出しているので「日本におけるトレインド・ナース誕生年」でした

卒業式では、学生一人一人に修了証が手渡されました。大家直美(演:上坂樹里/モデルは鈴木雅)の修了証にはアグネス・ヴェッチの直筆で、「I consider her give to fitted to teach a class of nurse.(彼女が看護学を教えるのにふさわしい人物であることを認めます)」と書いてあったそうです。

鈴木雅は明治9年(1876)から1年ほど横浜のフェリス・セミナリー(現在のフェリス女学院)で英語を学んでいます。ヴェッチは、そんな雅の英語力、指導力、人間力などに一目置いていて、自分の後継者となると考えていたとか。

実際は、東大病院は、卒業後に大関和は外科、鈴木雅は内科の看病婦取締として・迎え入れたのでした。

そして、日本政府に「お雇い外国人」として招聘されていたアグネス・ヴェッチの任期は1年間だったため、明治21年(1888)11月に任期満了となり日本を離れました。

バーンズ先生(アグネス・ヴェッチ)が高く評価をしていた直美(鈴木雅)(NHK「風、薫る」公式サイトより)

昭憲皇太后を感動させたアグネス・ヴェッチの看護

アグネス・ヴェッチは、旧エディンバラ王立救貧院病院看護学を卒業する際、「特別に優しく親切。彼女は病棟を家庭のようにする技術をもっている」と評価されています。

ヴェッチは、ときの明治皇后を感動させたというエピソードがあります。

あるとき、帝都医科大附属病院の外科室に、痩せ衰えた重症の大腿骨膜炎の男児が運ばれてきたときのこと。「もう手の施しようがないのでは」と誰もが感じるような状態で、病室には臭気が立ち込めたそうです。ところが、ヴェッチは平然と病室に入り込み、隣の部屋を打ち抜き看護婦の控え室を作ったのです。

そして、徹底的に衛生管理をし男児の看病をしました。

そのときに訪問した皇后(後の昭憲皇太后)は、ヴェッチたちのスキルや知識の高さ、まるでその男児の母親かのような献身的な看護を目の当たりにして感動したそうです。(『昭憲皇太后 附女四書』)

1887年(明治20年)5月9日、東京慈恵院に行啓した洋装の美子皇后(wiki)

SNSも感動したバーンズ先生の言葉

ドラマの中で、一ノ瀬りん(見上愛)は模擬授業のときに「家族だと思って」患者に顔を近づけて看護してバーンズ先生に怒られました。コレラで亡くなった父を思い出してのことでした。

看護をする際に「家族だと思って」患者に顔を近づけるのは厳禁。怒られて「まずは私自身が感染させないように努めることが最優先」と気が付いたりん。

バーンズ先生は、そんなりんに伝えました。

「あなたが見捨てたのは、この先、あなたが看護するはずの大勢の患者です。あなたが病に倒れてしまえば、その患者はあなたの看護を受けられません」と言います。

「あなたたちの“手”は、家族の数百、数千倍の人を助ける“手”。あなたが看護婦になれば、家族を失い、あなたと同じ思いをする人を減らすことができます」

看護婦の“手”は、たくさんの人々を救う大切な“手”。

たしかに、トレインド・ナーズ自身がまず感染を防ぎ、自分の健康を守ることは重要ですよね。バーンズ先生の言葉は、ナイチンゲールやアグネス・ヴェッチを彷彿させます。これにはSNSでも「胸に沁みる名言」と話題になっていましたね。

バーンズ先生に怒られた一ノ瀬りんは「看護婦の感染対策」の必要性を知る(NHK「風、薫る」公式サイトより)

「What is nursing?」

バーンズ先生が、看護学生たちに一番伝えたかった言葉。

「What is nursing?」。

ナイチンゲールの著書『NOTES ON NURSING』(1859年)に書かれている言葉です。この本は近代看護の原点とされる名著ですが一般女性に向けたものでもありました。

看護学生たちは、看護で重要なのは『observe=観察』であることを学びます。バーンズ先生は、常に看護学生たちも病院の医師たちもしっかり観察していました。

病院ではわざと日本語がわからないフリをして医師や患者を観察。医師らは何か不利益なことがあったら看護学生のせいにしようと目論んでいるので、その兆候を観察して彼女らを守っていました。

また、看護は患者の死に向き合う仕事なのでときには挫けてしまうもの。優しい心とともに、強い心・冷静さも必要だと教えたのでした。

事実、バーンズ先生ことアグネス・ヴェッチが育てた大関和と鈴木雅は偉大な功績を残しました。

大関和は、医師と渡り合うほどの知識やスキルを持ち、「いつか日本のナイチンゲールになる」と評判になり、看護を指名されるほどの人物に。看護の基本である清潔や換気、手洗い、栄養などの重要性を説きつづけ、感染症対策の第一人者と呼ばれるほどの人物になりました。

鈴木雅は日本最初の派出看護婦会を設立。現在の在宅看護に通じる派出看護婦は、病院の中だけでなく、患者の家庭などに出向いて看護にあたる看護婦を育てました。雅は貧しい人々には無料で派出看護婦を派遣したそうです。この働きは「看護婦」という存在を世の中に広めることに大いに貢献しました。

アグネス・ヴェッチは、昭和17年(1942)に故郷のエディンバラで死去しています。

自分が育てた和や雅が、その後日本に「看護」を根付かせるという偉業をなしとげ、日本の看護界にその名を刻むような人物にまでなったことはヴェッチの耳に届いたでしょうか。

ナイチンゲールの著書『NOTES ON NURSING』(NHK「風、薫る」公式」Xより

またいつか「再会」できたら

ところで、予告動画でバーンズ先生が口ずさんでいた“蛍の光”。

スコットランドの民謡『オールド・ラング・サイン』を元にした曲です。

歌詞は「旧友と再会してお互いの友情のためこの一杯を飲み干そう」というような、旧友と過ごした日々を懐かしむような内容。

「風、薫る」の『旅立ち』のストーリーを思うと、『蛍の光』の堅苦しい言葉の羅列の歌詞よりも、原曲の歌詞のほうがぴったりのような気がしました。

もしかしたら。バーンズ先生は苦楽を共にしつつ、教えたことを吸収して立派に育った日本初の看護学生たちには、「生徒」というより同志のような感情を抱いているのではないかな……などと勝手に想像してしまいました。

看護だけではなく、一般女性の生き方に通じるさまざまな言葉を残してくれたバーンズ先生。

『オールド・ラング・サイン』の「旧友と再会して一杯を飲み干そう」のように、いつか、また、バーンズ先生と再会できたらいいなと思いました。

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参考:

エディンバラ王立救貧院病院とアグネス・ベッチ 明治のナイチンゲール 大関和物語 -田中ひかる 著 (朝ドラ「風、薫る」原案)

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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