朝ドラ『風、薫る』ナース6の旅立ち!実在モデルたちの卒業後、大山捨松ら支援者の史実を一挙紹介
NHK朝の連続テレビ小説『風、薫る』も前半の終盤。第12週のテーマは『旅立ち』です。
いよいよ、「梅岡女学校 付属 看護婦養成所」(モデルは、桜井女学校 付属 看護婦養成所)の一期生だった、6人の生徒たちが卒業式を迎えました。
入学当時は、7人の「ナース7」だったのですが、一人辞めて6人での卒業式を迎えます。悲しみ・苦しみ・差別・喜びさまざまな体験をした生徒たちが、卒業証書を授与する場面はじんとくるものがありました。
史実でも、ここは実習病院もない小規模な養成所でしたが、有志共立東京病院看護婦教育所に次いでできた、トレインド・ナースを育成する専門学校でした。
小規模ゆえ、バーンズ先生(エマ・ハワード/モデルは実在の人物、アグネス・ヴェッチ)は、一人一人の生徒の心情の変化に目が行き届いたのでしょう。
そして最初は反目し合っていた生徒たちも、共に暮らし学び実習を受ける中で、自然にシスターフッドが育まれていきました。
バーンズ先生の教育を受け巣立った日本初のトレインド・ナースたちは、卒業後どうするのか。
次に迎えるステージを、今までの歩みを振り返りつつ史実とともに考察してみました。
明治21年(1888)に養成所の第一期生たちが迎えた卒業式。(NHK「風、薫る」公式サイトより)
※現在は「看護師」という名称ですが、この記事では当時の名称に合わせ「看護婦」と表記しています。
※本記事では登場人物のモデルとされる実在人物を紹介していますが、ドラマ上の人物設定や物語展開は創作を含むため、実在人物の生涯・経歴とは異なる場合があります。
「旅立ち」のテーマそのものに、看護見習生の制服を着て、卒業式を行なった学生たち。卒業証書を授与したあとは、皆で記念写真を撮っていました。
このドラマでの卒業写真、「風、薫る」ファンで原案小説を読んだり、ヒロインのモデルとなった実在の人物、大関和や鈴木雅について調べたことのある人なら、見覚えがある写真でしょう。
このサイト内の記事でも何度か使用したのですが、実存する「看護婦生徒と先生」との卒業写真そっくりなのです。
ドラマ内で撮影した卒業写真。(NHK「風、薫る」公式「X」より)
「桜井女学校の看護婦生徒とアグネス・ヴェッチ」撮影時期は1888年10月26日の1期生卒業当時と推定 wiki
ドラマのセピア色写真では、中央で座っているのはバーンズ先生。右は一ノ瀬りんと柳田しのぶ。左は大家直美と泉喜代。立っているのは左が玉田多江、右が工藤トメ。(写真上段参照)
実物の「桜井女学校の看護婦生徒とアグネス・ヴェッチ」(撮影時期は1888年10月26日の1期生卒業当時)では、中央がバーンズ先生のモデル、アグネス・ヴェッチで右がりんのモデル大関和、左は直美のモデル鈴木雅と推測されています。(写真下段参照)
そして、工藤トメの実在のモデル・広瀬うめ、玉田多江の実在のモデル・桜川里い、小池民、池田子尾の6人。
ドラマでは、1枚目はまじめな表情、2枚目は学校をやめた東雲ゆき(中井 友望)が加わって皆も笑顔になっています。(アイキャッチ写真参照)。
記念撮影のときに手に持っている野の草花を集めたようなブーケも再現されていましたね。
実在の人物も「看護婦育成」に尽力ドラマでは、帝都医科大附属病院(現在の東大病院)が病院内に看護科を設立するため、「二期からの梅丘看護養成所の学生は受け入れられない」「一期生を当院で雇う話も無くなった」と、過去の約束を反故にします。
そこで、バーンズ先生は、有力者たちに会い、頭を下げて生徒たちの将卒業後も病院勤務ができるよう奔走しました。
ドラマ内で先生が頭を下げに行ったのは、大山捨松(多部未華子)、勝海舟(片岡鶴太郎)、乳がん手術でりんの手厚い看護に感動した和泉公爵家の奥方・和泉千佳子(仲間由紀恵)です。
実際、この3人は日本の看護婦養成に関わった人たち。
▪️実在の人物である大山捨松は、有志共立東京病院(現東京慈恵会医科大学付属病院)を表敬訪問した際、病院長だった高木兼寛に、「日本にも看護婦養成学校が必要だ」と提言した人です。
そして、鹿鳴館で慈善バザーを開いて資金を集め、高木に寄附をして「有志共立病院看護婦教育所(のちの慈恵看護専門学校)」の設立に尽力しました。
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皆、日本の医療現場における「看護」に必要性を感じている人々ばかりでした。バーンズ先生のおかげで、看護学生も帝都医科大附属病院で働けるようになりました。
大学病院の「裏切り」に憤りバーンズ先生の訴えを快く受け入れる和泉千佳子。(NHK「風、薫る」公式サイトより)
それぞれの看護学生たちが進んだ道卒業生たちと『蛍の光』を英語で歌いお別れしたバーンズ先生。
やはり、「蛍の光」は日本語の堅苦しい歌詞より、「昔ながらの親友を思い、過ぎた日々を懐かしみ、次の再会を願う」そんなスコットランド民謡の『オールド・ラング・サイン』のほうが、この卒業の場面にはぴったりですね。
ドラマでは、日本橋の呉服屋の四女・柳田しのぶ(木越明)は、結婚して家庭を持ち、自分の家族や身近な人たちが病に倒れたときに学んだ「看護」を生かしたいと看護婦にはならない道を進みます。
泉喜代(菊池 亜希子)はキリスト教を厚く信仰していた人。仕事として看護をするのがどうしても割り切れないと、伝道の道へ進み、その活動の中で「看護」を活かしたいと決心をしました。
残ったのは四人。
▪️玉田多江(生田絵梨花)の実在のモデルは桜川里いといわれています。父親は水戸藩の高名な儒者で、築地女学校(のちの青山学院女子短期大学)の講師でした。
里いは桜井看護婦養成所を卒業後、帝都医科大附属病院の内科に勤務。その後、聖慈医院、赤坂病院とキリスト教精神に基づく病院を歴任します。
そして、ハワイに渡航し医師の夫と結婚、里いは日本人病院で看護婦長を務め、夫と死別後は派出看護婦として働きました。
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岡山県の士族の娘として生まれ、両親に反対されるも家出同然に上京後、桜井看護婦養成所に入学しました。
明治29年(1896)明治三陸地震の際は、救援に駆けつけ、その際に孤児となった乳児を女学校の寄宿舎に連れて帰り養子に出しています。
その後、結婚して渡米、日本人家庭の出産を助けたり、夫の作った学校で日本の歴史や国語を教えるなど大活躍をしました。そのドラマティックな人生は、梅を主人公にしたミュージカルも作られているほどです。
(女学院公式HP「特設サイト〜大関ちかのあゆみをたどって」より)
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梅岡女学校付属看護婦養成所に集まった学生たち。(NHK「風、薫る」公式「X」より)
「日本の病院に看護婦がいる」がバーンズ先生の夢実際にナイチンゲールが、たくさんの名言を残したように、バーンズ先生も胸に染み入るような言葉を生徒たちに残しました。
卒業のお祝いに贈ったのは「私の夢を皆さんに託します」というメッセージ。
「日本にはどんな病院にも看護婦が当たり前にいるようになる。それが私の夢になりました。
今、ここに看護婦が6人いる。それが60人、600人、6000人へと増えたときに私の夢は叶う。みなさんよろしくお願いします。」
卒業時、恩師にこんなことをいわれたら「この期待に恥じることなくその夢を叶えよう」とずっと心の支えになりそう。
130余年を超えた2024年末現在、日本で従事する看護師人口は136万3142人。バーンズ先生の夢は叶いました。
「日本のすべての病院に看護婦がいる」という夢を皆に託したバーンズ先生。(NHK「風、薫る」公式サイトより)
自ら道を切り開き選択肢を作った看護学生たち「看護」という職業に病院でさえ理解がなく「賎業」と差別された明治時代。「女性は結婚して子供を産むのが仕事」と枠に押し込められた時代でもありました。
そんな社会環境の中で、養成所で学んだ「ナース7」は、自ら道を切り開き選択肢を作りました。
中でも、大関和と鈴木雅は異端児。けれど、その名を令和の今にも伝えるほど日本の近代看護の基礎を作り、女性が職業を通じて自立できる道を切り開いた人たちです。
バーンズ先生が最後に残した言葉「What is nursing?」
What is nursing?The one being questioned is myself.
(看護とは何か?問われているのは私自身である)
これは、卒業生皆、それぞれの生きていく現場で何か起こるたびにずっと常に自問自答したことでしょう。
ドラマ内でお団子屋の主人が突然倒れたとき、「ナース6」の落ち着いてテキパキした処置は、さすが看護学生という感じ。病院以外の場でも学んだ「看護」は生かされ、紡がれていくのでしょう。
それぞれの新しいステージが楽しみです。
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明治のナイチンゲール 大関和物語 田中ひかる
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