『豊臣兄弟!』荒木村重(トータス松本)が見殺しにして、妻・だし(山谷花純)と竹中半兵衛(菅田将暉)が助けた二人の幼子の運命
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」第23話『さらば半兵衛』。
織田信長(小栗旬)に突然反旗を翻し毛利に寝返った荒木村重(トータス松本)は、説得に訪れた明智光秀(要潤)に「一度割れた氷は戻らない。そなたも踏み外さんよう気を付けるこっちゃ!」と『本能寺の変』フラグのセリフで拒絶。
親交のある黒田官兵衛(倉悠貴)が単身、説得に乗り込んでも「で、お主はいつ織田に手のひらを返す?わしはそうやって生き延びてきた。」と本音を吐露し拒絶。
有岡城に籠城するも窮地に追い込まれた村重は、今だ「動機も理由も不明」とさまざまな考察がされるほど “予想外の行動”にでました。そのせいで、数百人もの人が処刑される惨劇が引き起こされたのです。
そして、危うく犠牲になるところだった二人の幼子もいました。
けれども、村重の妻・だし(山谷花純)と竹中半兵衛が、それぞれ命懸けで二人を救います。今回はそんな「幼子二人の命とその後」を探ってみました。
「裏切り」が前提で生き延びてきたのか…荒木村重。(NHK「豊臣兄弟!」公式サイトより)
残り少ない命を賭け幼子の命を救う半兵衛織田信長と豊臣秀吉(池松壮亮)への忠誠の印として、10歳の息子・松寿丸を人質として差し出していた黒田官兵衛。
荒木村重の説得に出向き捕えられ牢に幽閉されたうえ、「織田を裏切った」と噂を流されました。激怒した信長は秀吉に「松寿丸の斬首」を命じます。
松寿丸を可愛がって育てていた秀吉らにはできまいと察した半兵衛は「松寿丸は私がかくまい信長を欺く」と申し出ました。
ドラマでは、この通説にひねりを入れ「実は半兵衛は松寿丸を殺す気だった」という展開に。信長に嘘がバレたら豊臣家もタダでは済まないと斬首の役目を買ってでたようです。
ところが、生まれたばかりの小一郎(仲野太河)の赤ん坊を抱き大号泣。「あの子を抱いた手で子を殺めるなどできぬ」と松寿丸をかくまい信長には替え玉として病で亡くなった子の首を差し出しす……という流れになりました。
寿命が残り少ない半兵衛の命懸けの欺き。
『黒田家譜』(※)では「官兵衛が裏切ったと思った信長は激怒して人質の『松寿丸を殺すべき』と竹中半兵衛に命じるも、これに従わずに匿った」と記されています。
村重の有岡城が落城し、約1年ぶりに救出された官兵衛は、半兵衛のおかげで松寿丸の無事を知り、男泣きに泣くも半兵衛はすでにこの世にはおらず直接礼を伝えられないことを嘆いたそうです。
※『黒田家譜』:福岡藩3代藩主・黒田光之の命を受けて貝原益軒が編纂した黒田家の公式歴史書。
信長に「首」を届け、永遠の別れを告げる半兵衛(NHK「豊臣兄弟!」公式サイトより)
官兵衛の身内宛に「涙を流し候」と書いた手紙半兵衛は死を迎える二ヶ月ほど前、天正7年4月9日の日付で、黒田官兵衛の身内宛と思われる手紙を残しています。
半兵衛の直筆の手紙で現存しているのは2通しかないそうですが、そのうちの1通でした。(『竹中半兵衛書状』東京大学資料編纂所所蔵影写本)
そこには、「囚われの官兵衛とやりとりすることができ、無事でいることがわかった」とあり、さらに「官兵衛から『松寿のこと懇ろに申し来たり候』とお願いされ、涙を流し候」と綴られていました。
「松寿のことを、どうか、どうか、よろしくお願いします』という文に、思わず涙をこぼした半兵衛。ここまで感情をストレートに表現した手紙は、ほかの武将と比較しても珍しいそうです。
ドラマでは描かれませんでしたが、このとき半兵衛にも、まだ一人前ではない息子がいました。
「どうかどうか」という父として子を思う切実な文章に「涙を流し候」ほど共鳴したのでしょう。
残り少ない寿命を賭け官兵衛の息子をかくまい信長を欺く作戦に打って出た半兵衛。
おかげで、松寿丸は助かり、幽閉から救出された父・官兵衛と再会を果たすことができたのでした。
半兵衛の「涙を流し候」の心情は赤子を抱いて大号泣したこの場面に反映されたのかも(NHK「豊臣兄弟!」公式サイトより)
20年前に救った命が結ぶ絆は孫の代まで続く半兵衛に命を助けられた松寿丸は、成長し黒田長政と名乗ります。本能寺の変で信長亡き後は豊臣秀吉に仕え、次々と武功をあげ、若くして頭角を表しました。
天正17年(1589)に父・官兵衛が隠居し家督を継いだ長政は、
秀吉の死後、かねてより折り合いの悪かった石田三成との対立が決定的となり、同様に三成と対立する徳川家康に接近します。
長政の名を大きく高めたのが慶長5年(1600)「関ヶ原の戦い」でした。
西軍の三成に対して東軍に所属した黒田長政。一方、当初は西軍にいた竹中半兵衛の息子・竹中重門は東軍に転じました。
関ヶ原はもともと竹中家の領地だったので、地の利に詳しい重門が長政を案内したといわれています。そして、東軍の勝利におおいに貢献したのでした。
「関ヶ原」の戦いで一際目を引いたのが、長政が身につけた『銀箔押一の谷形兜』。この兜は半兵衛が持ち主で、形見分けで福島正則が入手し、その後、長政の手に渡ったそうです。
兜の名「一の谷」は源平合戦で知られる場所で、源氏が険しい山を馬で駆け下りて平氏を奇襲した「鵯越の逆落とし(ひよどりごえのさかおとし)」を行った古戦場です。
この兜は、一の谷の断崖絶壁を表現したデザインで、半兵衛が源氏の勝利にあやかり作らせたのでは……といわれています。
実際は、どこまで長政が半兵衛に恩義に思っていたか明確にはわかりませんが、半兵衛の兜を被った長政を、息子の竹中重門が手助けをして共に戦ったことを思うと、ずっと絆は紡がれていたのでしょう。
左:黒田長政(wiki)右:竹中半兵衛の像(photo-ac)
黒田長政と竹中重門の名前が並ぶ碑岐阜県の関ヶ原にある標高164mの丘陵地・岡山に竹中重門は、黒田長政とともに陣を取り戦機を見て狼煙を上げました。
南宮山・松尾山・笹尾山・中山道・北国街道・伊勢街道……などが一望でき、戦況が把握しやすく関ケ原の合戦の「開戦の狼煙」を上げるには好適地だったのです。
現在も山頂からは、関ケ原の町一帯を一望することができます。
ここには『岡山(丸山)烽火場/黒田長政・竹中重門陣跡』があり、石碑には、「丸山狼烟場」の文字の下に黒田長政と竹中重門の名前が並んで刻まれています。
長政は、半兵衛の孫で竹中重門の子・竹中主膳重次をもらいうけて養育し、自分の重臣として育て上げたそうです。
あの時、残り少ない寿命を賭けて救った幼い命が、孫の代まで紡がれて行ったと知ったら……天国の半兵衛の顔も綻んだでしょうか。
夫の裏切りのせいで殺される我が子を守った妻
そして、荒木村重の謀反のせいで殺されるところだった幼子を、自分の命は顧みずに助けたのが、ほかならぬ村重の妻・だしでした。(20歳以上の年齢差があったので側室とも)
反旗を翻し説得に応じず籠城するも兵糧攻めで疲弊。「もはやこれまで。皆のために投降してくれ」という段階になった途端、いきなり城から逃げた夫。
これに関しては、「兵糧補給路を確保するため」「毛利氏に直接援軍を要請するため」など諸説ありますが、どれも確かな史料はなく真相は謎のままです。
いずれにせよ、村重が“城を脱出”し有岡城は落城。
その後、信長は「尼崎城と西方の花隈城の明け渡すならば、家族や家臣の命は助ける」と持ちかけるのですが、それも村重は拒否。その態度に困った使者・池田知正は遁走する始末。
村重や知正の態度に激怒した信長は、荒木一族、家臣らの家族全員を処刑することにしました。
荒木村重とだし。夫婦仲は良かったものの…(NHK「豊臣兄弟!」公式サイトより)
毅然とした中にも「命は救えた乳飲み子」への想い『信長公記』によると、信長は、磔・斬首・火あぶりなど700人近い人をジュノサイド処刑で惨殺。
この大殺戮の最中、一人、命拾いをした乳飲み子がいました。それが、村重の息子でのちの岩佐又兵衛勝似です。(2歳位だったとも)この子は、村重とだしの間の子とする説と、だしは側室なので正室と村重の子とする説などがあります。
だしは、家臣を裏切った武将の妻として我が身の処刑は受け入れたものの、幼い息子の命だけは助けたいと護送の途中、乳母の懐に隠し脱出させたそう。
そして、だしは白い経帷子の上に色鮮やかな小袖を纏った姿で、大八車に縛り付けられ京都市内を引き回しの上、六条河原にて斬首されました。
同様に処刑される家臣たちの妻たちに、少しでも恐怖を与えないようにと思ったのでしょう、毅然とした姿だったと伝わります。
残される我が子に「何も恥いることはない。母の最期は立派だった」と残したかったのかもしれません。
だしの辞世の句は複数ありいずれも堂々としたもの。けれど、
「残しをく そのみどり子の心こそ おもいやられてかなしかりけり」(この世に残していく子の気持ちが思いやられて悲しい)
この句は唯一、無事に逃げたであろう我が子の行く末を思う母の悲しみと無念さが伝わってくるようです。
夫の裏切りで処刑されただし(NHK「豊臣兄弟!」公式「X」より)
生き延びた乳飲み子は「怨念の絵師」に母のおかげで生き延びた赤ん坊は、その後、母方の姓(乳母の姓とも)「岩佐」を名乗り岩佐又兵衛勝似となり、信長の息子・信雄の「御伽衆」として仕えた後、京都で浮世絵師として活動を始めました。
その画風は、大和絵から水墨画まで絵巻の特徴をよく押さえたもので一癖も二癖もある画風と評されました。
代表作の一つで印象的なのが『山中常盤物語絵巻』です。
源義経の母・常盤御前が、奥州にいる義経に会うために旅立つも、美濃の山中宿で病に倒れます。そこへ6人の盗賊が押入り、所持品だけでなく身にまとう着物まで奪い去ります。
常盤は「肌を隠す小袖を残すのが人の情けというもの。さもなくば命を奪いなさい」と叫ぶと、盗賊は刀で常盤の胸を刺して殺した……という悲劇が描かれた絵巻で、全12巻合わせると150メートルも超える超大作となっています。
「怨念」と母への「思慕」の感情を絵に込めた
おそらく又兵衛は、常盤の非情な運命を知り、母親・だしの最期に思いを馳せたのではないでしょうか。
父が逃げ生き延びたこと、残された者は筆舌に尽くし難い残酷な処刑をされたこと、命じた織田信長が非道なこと、などに怨念の魂を燃やし続けたのかも。
そこに、若く美しかった亡き母への思慕の情がない混ぜになり激情が吹きこぼれそうなのを、ずっと抑えていたのかもしれません。
この作品を描きあげる気力や執念に、さまざまな思いが込められている気がしました。
理由はどうであれ、荒木村重の行動で殺されそうだった幼子二人の命は、竹中半兵衛とだしの行動でその先の未来を生きることができたのです。
ドラマ「豊臣兄弟!」では、この先どのように描かれていくのでしょうか。
参考:
歴史探偵「竹中半兵衛と黒田官兵衛 知られざる涙の絆」
MOA美術館「山中常物語」
『戦国 忠義と裏切りの作法』小和田哲男監修
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan