朝ドラ『風、薫る』虎太郎(小林虎之介)が再登場!『立身出世』を夢見る明治社会の若者群の象徴か

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朝ドラ『風、薫る』虎太郎(小林虎之介)が再登場!『立身出世』を夢見る明治社会の若者群の象徴か

NHK朝ドラ「風、薫る」。

いよいよ、竹内虎太郎(小林虎之介)が再登場!初回から注目の人物だけに、SNSでも喜びの声が湧いていました。

『旅立ち』がテーマだった第12週の最終話。主人公の一ノ瀬りん(見上愛)が看護婦養成所を卒業したタイミングで、りんの上京を見送って以来姿を見せなかった幼馴染の虎太郎が上京して再会。

農作業に従事していた頃と打って変わり「製薬会社の社員」という大人の男性に大変身していました。

今まで、密かにりんに思いを寄せるも打ち明けることはせず、幾度となくピンチを助けてきた虎太郎。

再登場を機に、明治時代の社会背景を参考にしつつ、大きな変化を遂げた虎太郎の人物像を考察してみました。

ひさびさに、りんたちの前に姿を現した虎太郎。(NHK「風、薫る」公式サイトより)

※現在は「看護師」という名称ですが、この記事では当時の名称に合わせ「看護婦」と表記しています。
※本記事では登場人物のモデルとされる実在人物を紹介していますが、ドラマ上の人物設定や物語展開は創作を含むため、実在人物の生涯・経歴とは異なる場合があります。

文明開花の中で「身分差」を感じ育った男児像

りんの幼馴染・竹内虎太郎は、那須の村での幼馴染時代から今までに関しては「この人がモデル」という明確な人物は存在しない様子。

“憧れの姫を見守るナイト”として、要所要所でりんのピンチを救っていましたが、設定が東京で働く大人の男性になったところで人物像は変化していきそうです。

ドラマでは、りんの父親・一ノ瀬信右衛門(北村一輝)は、栃木県那須地域にあった小藩の元御家老。母親の一ノ瀬美津(水野美紀)は元藩主の一族。りんは「元御家老のお嬢様」です。

虎太郎は、元足軽の竹内家の長男。虎太郎の父親は、帰農した信右衛門を「一ノ瀬様」と呼び敬っていました。虎太郎も身分差があることは意識していたでしょう。

りんの実在のモデル・大関和は、安政5年(1858)下野国の黒羽藩(栃木県太田原市)国家老、大関弾右衛門と妻・哲の間に生まれました。大関家は小藩としては代々200石の知行を与えられた上士にランクされる家柄でした。

黒羽藩には、足軽として藩や主人、御家老を支えてきた人々やその息子たちもいたでしょう。同じ村で暮らしている男児らにとって、和は「元御家老のお嬢様」として仰ぎ見る存在だったかと思います。

幼馴染時代の虎太郎は、明治維新後の急激に改革が進む中でも、「家柄で身分差がある」ことを体感して育ったこの頃の男児たちを集約したキャラクターなのかも……と思いました。

故郷にいた頃の竹内虎太郎。(NHK「風、薫る」公式「X」より)

「対等な立場になりたい」が原動力か

第一週『翼と刀』で、「コロリ(コレラ)」が発生し、虎太郎の母親も感染。りんは、村人たちから差別を受ける彼の手を握り慰めようとするも、思わずひっこめてしまいます。

りんは、このときのことを「大事な人が一番辛いときに、手を握ってあげらんなかった。」と何年間も悔やんでいました。

その後、りんの父もコロリに感染しあっという間に亡くなりました。生活に困窮する家族を救うために、りんは18歳年上の男性との縁談を決意します。

りんは、虎太郎にその決意を告げに河原で会うも、転びそうになり彼を怪我させてしまいます。虎太郎の手を大山捨松(多部未華子)から貰った白いハンカチで手当てしつつ謝ると、虎太郎は「りんは、俺の姫様だから」といい手を握りました。

りんが看護の道へと進む将来を暗示するようなシーン。けれども、結婚を決意したりんは虎太郎の手をそっと離してしまいます。

結婚後後、りんは女性蔑視のモラハラ夫に耐えられず娘を連れて故郷に逃げ帰ります。このとき、虎太郎は船を手配し上京を手伝い、りんの夫が追っ手を出し娘を誘拐したときも助けてくれました。

けれども、一時的に助けられても、地位もお金も無い虎太郎には「彼女の人生そのものを助ける」力はありません。上京するりんを見送りながらも、いつか対等の立場になりたいと決意したことが、今回の再会につながっているのでしょう。

実際、大関和も18歳で黒羽藩士族・渡辺福之進豊綱と結婚。夫は40歳で、すでに5人も妾がいてそれぞれに子供もいたとか。しかも「妾を持つのは男の甲斐性。女の嫉妬は見苦しい」とぬかす、絵に描いたようなモラ男でした。

和は、そんな夫や姑、不貞を一方的に認める法律や風潮に嫌気がさし離婚。原案小説では和には虎太郎のような存在はいなかったようです。

虎太郎の怪我を白いハンカチで手当てするりん。(NHK「風、薫る」公式サイトより)

「東京に出てきて勝負をかける」心意気

りんが看護学校を卒業し、トレインド・ナースとして病院勤務になるタイミングで現れた虎太郎。

以前とはがらりと変わり、スリーピーススーツに白いウィングカラーのシャツにネクタイ、ソフト帽というハイカラなスタイルで別人のようです。

銀座の製薬会社に勤め、給仕として働いているうちに社長に認められて今月から社員になった」とか。

どうして東京に?と問われ、

「故郷にいても100年前と変わらない。家族を支えていくには東京に出ないと。東京は努力した分だけ自分の力で上にあがれる。勝負するなら東京だ」と答えました。

なぜ製薬会社なのか?今のところ明確な理由はわかりません。

初対面のシマケンには「りんと同じ医療に関わる薬で世の中に役立つ仕事をしたいと思っています」と、煽り気味に答えていましたが。

コレラに罹患した母親を助けられなかった悔しさ、患者なのに差別をされる理不尽さは、ずっと心の中に残っていたのかもしれません。

上京し大人っぽくなった竹内虎太郎。(NHK「風、薫る」公式「X」より)

『立身出世』を夢見る明治の若者の象徴・虎太郎

実際、江戸時代から日本橋本町界隈には薬種商が集まり「くすりの街」となっていました。昭明治初期にはまだ合成薬を作る技術はなく輸入薬頼みでした。

明治15年(1882)頃になると「西洋薬」を扱う店が急増したそうです。そして、政府は医薬品の国産化を目指し、翌年には日本初の製薬会社が官民共同で設立されました。

当初は、「製薬会社」というよりも薬舗・薬種商・製薬所という名称のところも多かったとか。明治22年(1889)、薬品営業並薬品取扱規則(薬律)が制定され、「薬局」や「薬剤師」などの名称が正式に定められ、現在の医療に近づく大きな一歩を踏み出したのでした。

ちょうど、大関和らが看護婦養成所を卒業した頃ですね。

この頃の製薬業は、近代化が一気に進んだいわば『最先端の産業』のひとつだったといわれています。

家柄で人生がほぼ決まっていた江戸時代と違い、貧しい家の出身でも、自分の能力や努力しだいで出世も可能になった明治社会は、多くの若者が『立身出世』を夢見て頑張った時代でした。

明治5年から順次刊行された福澤諭吉の『学問のすゝめ』に、影響された若者も多かったそうです。

自己責任で自分の道を選び努力次第で上を目指せる分、出世できないのは己の努力不足……そんな空気のある社会で、元足軽で貧乏な家の息子の自分が勝負をかける。

故郷から出てきてからの虎太郎は、「『立身出世』を夢見て頑張った明治時代を象徴する若者」がモデルなのかもしれません。

明治19年の日本橋。西洋式の馬車鉄道、ガス灯、背景には三井銀行なども。小林 幾英

明治時代、銀座に製薬会社を設立した「資生堂」

明治時代、「銀座の製薬会社」といえば代表的なのが、明治5年(1872)に元海軍病院薬局長・福原有信が、日本初の民間洋風調剤薬局として創業、現在の銀座七丁目に社屋を構えた「資生堂薬局」(福原商店)が挙げられます。

りんと虎太郎が再会した頃の明治21年(1888)には「福原衛生歯磨石鹸」という日本初の練り歯磨きも発売。明治30年(1897)に化粧水「オイテルミン」の開発を機に化粧品業界へと進出していきます。

虎太郎が銀座のどこの製薬会社に勤めているのかは今のところ不明ですが、「必ず出世するから」とりんに誓っていましたね。

明治時代の正社員の給料は、たとえば明治30年頃、小学校の教員や巡査の初任給は月に8~9円ぐらい。 一人前の大工や工場のベテラン技術者で月20円ぐらいだったようです。当時の1円は現在の3万円くらいの価値があったそう。

成長株の業種で出世して給料が上がり、故郷に残した家族にも仕送りができるようになれば、初めてりんと肩を並べることがでると思ったのではないでしょうか。

福原有信。資生堂創業者 wiki

漢方薬に用いられていた素材「虎」

ちなみに虎太郎の『虎』という字。

コレラは急に激しい症状に襲われるため「1日に千里を走る」という虎のイメージから「虎烈刺」「虎列拉」「虎列刺」などと表記されていました。

けれども、その反面「力強く勇猛で生命力に溢れる」というイメージが受け入れられ、実際に虎は漢方薬にも用いられていました。

たとえば、虎の頭蓋骨「虎骨(ここつ)」は古くから漢方薬として煎じて消炎・鎮痛剤として用いられていたそうです。

虎骨は虎骨酒として製剤化されたり、煮詰めて膠質を取り出したものは虎骨膠として使用されました。

現在でも「五虎湯」はせきどめの薬として有名ですよね。五種類の生薬を用い、五臓の肺の守護神が白虎であることから五虎湯と名付けられたそうです。

虎太郎の名前の由来は、将来「薬種商」の道に進む人物だったため……か、どうかはわかりませんが、勇敢でたくましく生命力に溢れて突き進む男に育つようにと名付けられたかもしれません。

「流行虎列刺病予防の心得」橋本直義画 明治10年wiki

立身出世を目指す男VS夢を追う男

さて、虎太郎とシマケン(佐野昌哉)が遭遇し、りんを巡る男性関係も新しい局面を迎えました。お互い、挨拶と自己紹介を交わしましたが心中穏やかではない様子です。

「小説家を目指している」というシマケンにライバル意識を燃やす虎太郎。静かにバチバチと炎が散っていました。

シマケンと虎太郎の間に飛び交うばちばちには気が付かない様子のりん(NHK「風、薫る」公式サイトより)

原案小説によると、大関和は看護婦としての仕事や女性の地位向上のための活動に邁進して、恋愛や再婚に興味がなかったようです。

和は美人だったので医師や患者からもてたそうですが、「武家教育を受けて、その慣習のもとに嫁いだので恋愛という概念がなかった」そう。

30代中頃、ある男性と近しい関係になるも、相手の女性遍歴を知り別れます。キリスト教の「一夫一婦制」が理想夫婦のあるべき姿の和にとっては、元夫のように女遊びをする男は論外だったでしょう。その後、生涯再婚はしていません。

ドラマでは、シマケン、虎太郎のどちらかと結ばれるという結末はないかも。

恋愛関係として結ばれなくても、シマケンは新聞や小説など「ペンの力」で、虎太郎は「医療の力」でりんの人生をサポートしていく……そんな展開になるのでしょうか。

今後の、虎太郎の謎が解明されどのような展開になっていくのか楽しみです。

参考:
中外製薬「くすり研究の歴史」
野村ホールディンングス・日本経済新聞「お金の歴史雑学コラム」
『明治のナイチンゲール 大関和物語』(中公文庫)田中ひかる

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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