2027年大河『逆賊の幕臣』で北村一輝が演じる“マムシの耀蔵”とは?遠山の金さんも追いやった妖怪の生涯

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2027年大河『逆賊の幕臣』で北村一輝が演じる“マムシの耀蔵”とは?遠山の金さんも追いやった妖怪の生涯

2027年のNHK大河ドラマは、日本の幕末期、幕臣側から幕末史を描く、小栗忠順(おぐりただまさ)を主人公とした「逆賊の幕臣」が放送予定です。

先日、「逆賊の幕臣」新キャスト第5弾が解禁され、北村一輝さんが鳥居忠耀(とりい ただてる。以下、鳥居耀蔵)を演じることが発表されましたが、今回は天保の改革を主導した一人で「マムシの耀蔵(ようぞう)」と呼ばれた鳥居忠耀を紹介。

果たして彼はどんな人物で、どんな生涯をたどったのでしょうか。NHK大河ドラマ「逆賊の幕臣」を楽しむ参考になれば幸いです。

蘭学者を弾圧し、庶民を徹底的に取り締まる

高野長英(画像:Wikipedia)

鳥居耀蔵は寛政8年(1796年)11月24日、林述斎(はやし じゅつさい)の三男として誕生しました。

生母の前原氏は側室であり、既に嫡男がいたことから、林の家督は継げません。そこで25歳となった文政3年(1820)に鳥居成純(なりずみ)の娘を娶り、鳥居家の婿養子となります。

はじめ第11代将軍・徳川家斉(いえなり)に側近として仕え、天保8年(1837年)に徳川家慶(いえよし)が第12代将軍を継ぐと、引き続き仕えました。

天保10年(1839年)に蘭学者の渡辺崋山(わなたべ かざん)や高野長英(たかの ちょうえい)らが幕府の鎖国政策を批判すると、後世に蛮社の獄(ばんしゃのごく)と呼ばれる過酷な弾圧を行います。

また天保12年(1841年)には、庶民から人気の高かった南町奉行の矢部定謙(さだのり)を失脚に追い込んで、その後任に収まりました。

改易(かいえき。所領全没収)の上に幽閉された矢部は理不尽な仕打ちに断固抗議、絶食して非業の死を遂げたそうです。

人々は矢部の死を惜しみ、鳥居耀蔵を諷刺する狂歌を詠んだのでした。

町々で 惜しがる奉行 やめ(矢部)にして どこがとりえ(鳥居)の どこが良う(耀)蔵

【歌意】みんなに慕われた矢部様をクビにして、新たに奉行となった鳥居耀蔵のどこに取り柄があって、どこがよいというのだろうか。

一体鳥居耀蔵の、どこが取り柄でどこがよいのか。少なくとも、老中の水野忠邦(みずの ただくに)にとっては、使い勝手がよかったのでしょう。

天保の改革を実行した「三羽ガラス」

水野忠邦(画像:Wikipedia)

やがて水野が乗り出した天保の改革では、鳥居耀蔵・渋川敬直(しぶかわ ひろなお)・後藤光亨(ごとう みつみち)の「三羽ガラス」が主導して、庶民活動を徹底的に取り締まりました。

南町奉行となった鳥居耀蔵はまさに「マムシ」「妖怪」と呼ばれるにふさわしい陰湿さや執念深さを発揮したと言います。ちなみに妖怪とは鳥居「耀」蔵と、官職の「甲斐」守をとったものでした。

ちなみに北町奉行は「遠山の金さん」でお馴染み遠山金四郎景元(とおやま きんしろうかげもと)が務めており、金さんは改革(庶民に対する過度な締めつけ)に批判的だったそうです。

そこで鳥居耀蔵は水野忠邦と謀って、金さんを大目付に「出世」させることで、改革の現場から遠ざけてしまいました。

やがてお隣の中国大陸では清国がアヘン戦争(天保11・1840年~天保13・1842年)に清国がエゲレスに敗れ、日本国内に衝撃が走ります。

幕府では、先進的な様式軍備を採り入れるべきと訴えた江川英龍(えがわ ひでたつ)や高島秋帆(たかしま しゅうはん)の策が採用されました。

これが気に入らない鳥居耀蔵は、高島秋帆に濡れ衣を着せて逮捕し、改革派の牽制を図ったのです。

水野忠邦を裏切り、仲間たちに裏切られる

金毘羅様に奉納された鳥居(イメージ)

かくして官民を締めつけ続けた鳥居耀蔵ですが、天保14年(1843年)に水野忠邦が上知令(あげちれい。幕府による所領召し上げ)を計画すると、態度を一変させました。

諸大名や旗本らが反発する中、形勢不利と見た鳥居耀蔵は、何と水野忠邦を見捨てて反対派に寝返ったのです。

おまけに水野忠邦が持っていた機密文書を、政敵であった老中の土井利位(どい としつら)に渡し、水野忠邦は老中辞任に追い込まれました。

水野失脚の功労者として、鳥居耀蔵は新政権でも身分を安堵されます。しかしそれも永くは続きません。

弘化元年(1844年)に土井利位が将軍の不興を買ってしまい、難局を乗り切るために水野忠邦が幕政に復帰したのです。

後ろ盾であった土井利位は報復を恐れて老中を辞任し、三羽ガラスの渋川・後藤に裏切られた鳥居耀蔵は、完全に孤立してしまいました。

水野忠邦は裏切り者の鳥居耀蔵を赦すことなく、弘化2年(1845年)に全財産没収の上、讃岐丸亀藩に身柄を預けられます。人々はこれを嘲笑い、こんな狂句を詠みました。

金毘羅へ いやな鳥居を 奉納し

【句意】讃岐の金刀比羅宮(こんぴらさん。香川県琴平町)へ、嫌な鳥居(耀蔵)を奉納したものだ。

かくして江戸を追われた鳥居耀蔵は、20年以上も軟禁状態に置かれることとなったのです。

人々から慕われた丸亀時代

心がけ次第で、住めば都?(イメージ)

これまで散々嫌われ続けた鳥居耀蔵ですから、丸亀藩ではここぞとばかりに苛め抜かれました。

嫌がらせや無視などが続き、例えば嘉永5年(1852年)には一年間誰も口を利いてくれなかったことが、鳥居耀蔵の日記に残っています。

あまりにヒマ過ぎた鳥居耀蔵は、趣味と実益を兼ねて庭先で薬草を栽培し、領民たちを治療してあげました。また学識は豊富だったため、丸亀藩士らに伝えたことから、次第に人々から感謝されるようになったそうです。

かつてはマムシだの妖怪だのと呼ばれた幕閣時代とは打って変わって、丸亀時代の鳥居耀蔵は人々から慕われていたと言います。

しかし三つ子の魂なんとやら。頑迷固陋な性格が変わった訳ではなく、明治元年(1868年)10月に恩赦が出た時、鳥居耀蔵はこれを受け入れませんでした。

「わしが幽閉されたのは将軍家の命令であるからして、上様が赦免して下さらない限り、ここから出て行くことはしない」とか何とか。

これには明治政府も丸亀藩も頭を抱え、何とかして追い出し……もとい赦免を認めさせたようです。

東京の堕落ぶりを怒り嘆く

東京の街並み(イメージ)

ともあれ赦免された鳥居耀蔵は、20数年ぶりの江戸改め東京へ舞い戻りますが、あまりの堕落ぶりに驚愕しました。

「わしの言うことを聞かなかったから、こんな有り様になってしまったではないか!」

この時の怒りと嘆きについて、鳥居耀蔵は「東京」と題して詩に詠んでいます。

交市通商競イテ狂ウガ如ク

誰カ知ラン故虜(こりょ)ニ深望アルヲ

後ノ五十年須ラク(すべからく)見ルヲ得ベケレバ

神州(しんしゅう)恐ラクハ是レ(これ)夷郷(いきょう)ト作ラン(ならん)

【意訳】
まったく……どいつもコイツも、狂ったようにカネ儲けに奔走しておる。
かつて罪人と貶められたわしの政治理念を、誰が理解してくれるだろうか。
50年先の未来を見ることが出来るならば、
きっと日本は野蛮人の国となっておるだろうよ!

東京の現状にうんざりしたのか、鳥居耀蔵は明治3年(1870年)に故郷の駿府へ移住しました。しかし誰も知り合いがおらず(万が一いても毛嫌いされたことでしょう)、明治5年(1872年)に仕方なく東京へ戻っています。

そして過去の栄光や日本の行く末を語りながら、明治6年(1873年)10月3日に世を去りました。享年78歳。

終わりに

今回は「マムシの耀蔵」こと鳥居耀蔵の生涯をたどってきました。蘭学者の弾圧や庶民の取り締まり、そして水野忠邦に対する裏切りなど、悪役要素てんこ盛りですね。

しかし権力の座を追われた丸亀時代の20数年は、打って変わって人々から慕われる一面も見せていました。

果たして大河ドラマ「逆賊の幕臣」では、どのような鳥居耀蔵が描かれるのでしょうか。北村一輝の熱演に期待しています!

※参考文献:

松岡英夫『鳥居耀蔵 天保の改革の弾圧者』中公新書、1991年11月 田中弘之『「蛮社の獄」のすべて』吉川弘文館、2011年6月

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