織田信長も明智光秀も同じ参道に…高野山奥の院「20万基超の供養塔」に隠された祈りの正体
高野山奥の院の参道には、20万基を超える供養塔が並び、そこには織田信長・豊臣秀吉・明智光秀などの戦国大名、さらには法然・親鸞など、敵味方も宗派も異なる人々が眠っています。
なぜ奥の院参道には、これほど多くの人々の墓石があるのでしょうか。その答えは、弘法大師空海が唱えた真言密教の思想、つまりすべてを受け入れる祈りの世界にあったのです。
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今も空海が禅定を続けている奥の院へ続く参道
「閑林独坐す(かんりんどくざす) 草堂の暁(そうどうのあかつき) 三宝之声は(さんぼうのこえは) 一鳥に聞く(いっちょうにきく) 一鳥声有り(いっちょうこえあり) 人心有り(ひとこころあり) 声心雲水(せいしんうんすい) 倶に了了(ともにりょうりょう)」
これは空海が詠んだ、漢詩『後夜聞仏法僧鳥』の一節。
「高野山の静かな林中、暁の草堂に独り座して無我無想の境地にいる時、どこからともなくブッポーソーと鳴く一羽のこのはずくの声が聞こえる。鳥は無心に鳴いているのであろうが、聞く人は心に感ずるものがある。鳥の声と人の心とが、さらに山中の雲と川の流れとが一つに融けあって、ここに仏の教えをはっきりと悟ることができた」これが詩の意味となります。
この詩は、唐からの帰朝した空海が高野山で詠んだと伝わり、夜明け前、静寂の山中に響くこのはずくの鳴き声に、仏の教えを悟った境地を詠んだとされます。高野山の自然と一体となった空海の精神世界をよく表している作品です。
空海は、奈良時代後期から平安時代初期に活躍した僧侶で、諡号を弘法大師(こうぼうだいし)といいます。高野山真言宗の総本山・金剛峯寺を開いた、日本仏教史を代表する僧侶として知られます。
しかしその人生は、挫折から始まりました。空海は讃岐国の豪族・佐伯氏に生まれ、若き日は官吏を目指して平城京に出ます。18歳で大学寮に入り官僚を目指すものの、中途退学してしまうのです。
やがて仏の道に生きることを決意し、19歳を過ぎた頃から人跡未踏(じんせきみとう)の山林に入り、厳しい修行の日々を送るようになりました。
特に有名なのが、高知県室戸市にある御厨人窟(みくろど)で修業をしていた際の逸話です。空海が洞窟内で修行していた際、明星が口に飛び込んできたといいます。その洞窟から見えるのが、空と海だけだったことから「空海」と名乗るようになったとされるのです。
高知県室戸市n御厨人窟。空海が悟りを開いた場所 (Wikipedia)
その後、空海は留学僧として唐へ渡ります。そして長安の青龍寺で、恵果和尚から密教の奥義を授けられました。帰国後、嵯峨天皇からの信を得て真言密教を確立し、高野山の地を賜り金剛峯寺を開いて真言宗の開祖となるのです。
空海は宗教家としてだけでなく、その活動は教育・文化・土木など多方面におよんでいます。まさに「日本史上、稀に見るスーパースター」と呼ぶにふさわしい人物であったのです。
奥の院。突き当りが燈籠堂でその奥に弘法大師御廟がある(撮影:高野晃彰)
その空海は835年(承和2年)3月21日、62歳で入定(亡くなり)し、高野山奥の院に葬られました。高野山の住民や真言宗の信者は、奥之院の霊廟において今も空海が禅定を続けていると信じているのです。
敵も味方も眠る、奥之院参道の20万基の供養塔空海の霊廟に続く奥の院参道は、樹齢数百年という杉の古木、およそ1800本に覆われています。その杉木立の合間に20万基を超える供養塔が並び、厳粛で神秘的な時間が流れているのです。
そこに並ぶのは、時代も身分も宗派も異なる人々の墓石。特に戦国武将の墓所は参道を歩く人々の目を引きます。戦国・江戸期の大名家の墓は110家にものぼり、その数は全国大名の四割にもおよぶのです。
たとえば、織田信長や豊臣秀吉の墓。そして彼らと戦い敗れた明智光秀や石田三成の供養塔も。信長によって滅ぼされた武田家の供養塔には、武田信玄と勝頼が並び、さらに上杉謙信・景勝の霊屋も建っています。
これらの墓の多くは江戸時代初期に造立されました。その理由は、徳川家康が高野山を菩提所と定めたことで、諸大名がこぞって墓石を建立したためとされます。
さらに奥の院参道には、浄土宗を開いた法然の供養塔や、浄土真宗の開祖親鸞の霊屋まであるのです。命を懸けて争った敵も味方も、宗派も関係なく墓石が並ぶ光景は、何ものをも大らかに受け入れる真言密教の思想と、人々の弘法大師空海への信仰があってのことでしょう。
ちなみに、高野山への納骨の風習は鎌倉時代に始まったと考えられています。そして、室町時代末期になると庶民もまた、素朴な一石五輪塔を奉納し「高野山で眠りたい」とその願いを託したのです。
ここでは大名も庶民も、生前の身分や敵味方は一切関係ない。ただ一つ、「弘法大師空海の側で眠りたい」その願いだけが、静かにこの森に息づいているのです。
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月間『高野山』高野山真言宗
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