朝ドラ「風、薫る」直美が目指す“届ける看護”…モデル・鈴木雅が日本初の『派出看護』を始めた理由
NHK朝の連続テレビ小説「風、薫る」。第17週のテーマは『脈動』です。
「脈動」とはその名の通り脈が打つことですが、「表面には現れないけれども、脈が打つように強く動いていること」も指します。
7月21日(火)の回では、大家直美(上坂樹里)が寝込んでいる瑞穂屋の文(内田慈)に「脈を測る」方法を教えました。「生きている証ですね」と。
直美は、病院の仕事後に文の自宅を訪ねて在宅看病をしていました。
直美の心の中には、ずっと「脈が打つように強く動く思い」がありました。それは、「病院に行けず、家で寝ている病人に医療や看護を届けたい」ということ。
直美のモデルで実在の人物・鈴木雅は、まさに日本初となる『派出看護婦会』を設立、在宅看護のための看護派出事業を行なった人です。
ドラマでは、初めて直美の口から「派出看護」という言葉が登場しました。そんな直美の「自分の看護を届けたい」という思いが強くなっていくプロセスを、史実の鈴木雅の行動とともにご紹介しましょう。
文の「脈」をとって「生きている」ことを確かめる直美。NHK「風、薫る」公式「X」より
※ドラマの時代設定に合わせて「看護師」ではなく当時のままの「看護婦」と表記しています。
※本記事では登場人物のモデルとされる実在人物を紹介していますが、ドラマ上の人物設定や物語展開は創作を含むため、実在人物の生涯・経歴とは異なる場合があります。
以前から、大学病院に通えない患者のために「自宅に医療を呼ぶ」「自宅で看護をする」ということを考えていた直美。
過去「在宅看護の必要性」を感じる現場に何度も遭遇し、今は「自分を産んだ母親かもしれない」文の看護をするうちにその思いは高まっていったようです。
明治時代は現代のような国民健康保険制度もなく、診察や薬代も高くお金に余裕がない人だと「病院に行く」のは敷居が高かったそう。
実際、21日(火)の回では、「お金がないので入院をやめたい」と言い出した患者に対し、入院してもらわないと困る内科医師・木村文平(前野朋哉)に、直美は派出看護を提案しますが「そうねぇ~」と乗り気ではありません。
ほかの看護婦が「近所の町医者を紹介するというのは?」と提言をするも「そうねぇ~」。
直美が「先生は、それなりの地位がある方ですよね。安くするとかできませんか?」と聞くも「そうねぇ~」。
まったく頼りになりません。面倒なのか病院側(院長や副院長)が嫌がるのか……理由は不明ですが、医師としてまったくやる気はないようです。
そこで、直美は医師の藤田邦夫(坂口涼太郎)に、文の家まで往診を頼むのですが。
帝都医科大学附属病院の医師・藤田を家に呼んだ直美。(NHK「風、薫る」公式サイトより)
「在宅看護の必要性」を何度も体験してきた直美以前、直美が看護婦見習いの頃。同じ長屋に住むトヨ(松金よね子)が、直美に「立派な病院で働くようになってすごいね」と褒めていました。
「私ら貧乏人には縁のない立派な病院だもの」というトヨの言葉に、直美は「……あぁ、そうか。お金がないと大学病院には診察にいくことはできないか」と気がついたようでした。
直美は職場として普通に通っている大学病院も、長屋の住人にとってはまるで「別世界」だったのでしょう。この時、直美はそんな現実が胸に残ったのだと思います。
その後、第九週『看護婦とアメ』のときのこと。
一ノ瀬りん(見上愛)は、看病婦の永田フユ(猫背 椿)に「手術介助」の方法を教えて欲しいと頼みますが「そんな時間があるなら、家で寝ている亭主の看病をしたい」と冷たく断わられます。
そこで、りんと直美はフユの自宅に出向き、仕事中にハシゴから落ちて足を痛め寝ているフユの夫・永田康介(シソンヌ・じろう)を訪ねて看護をします。
枕カバーを取り替えたり、縁側で髪を洗ったり、あれこれと細やかな看護に感謝する
夫。自宅で寝ている病人の看護や介護をすることの重要さと大変さを身をもって知った二人でした。
この経験が、のちに直美こと鈴木雅が派出看護婦会を設立することの伏線になるのだなと感じた回でした。
怪我で動けないフユの夫の「訪問看護」をしたりんと直美。NHK「風、薫る」公式「X」より
お金がなく病院を断り続けた長屋の住人を看取るそして、第15週『差し出せぬ手』のとき。
りんと直美が住む家に、長屋に住む丸山(若林時英)が助けを求めてきました。具合の悪かったトヨの容体が悪化したのです。
長屋に住む皆に囲まれて亡くなったトヨ。病院に連れて行こうという提案も医者を呼ぼうという提案も「お金がないから」と断り続けていたトヨでした。
直美は、自分が看護婦なのに「お金がないと病院にもいけない、医者も呼べない」という厳しい現実を突きつけられました。
けれども、涙は流すものの、取り乱すことなくトヨの脈を冷静にとり、最期を看取ります。
具体的な計画はまだないにしても、「お金がなくて医療にアクセスできない人がいるなら、こちらから出向きたい」という思いを強くしたのではないでしょうか。
また、在宅でも「自分は誰かの死を冷静に看取ることはできる」と確信したような気もします。
直美が来てくれるだけで十分と言い、病院にはお金がかかるからと断り続けたトヨ。(NHK「風、薫る」公式サイトより)
「お金がない」と病院を断る文の家に通い看護する新潟の女学校に赴任するために旅立ったりん。直美は、一ノ瀬家で皆と一緒に暮らすことになりました。
第16週『新風吹くころ』。体調不良で倒れた瑞穂屋の文を直美が看護することになりました。
長屋のトヨさんのとき、「医療を届けられなかった」悔いが残る直美は積極的に文の家に通い看護を行います。
脈を測ったり、足のむくみ、おなかの痛みなどをチェックし、医者に見てももらうように勧めるも文は「お金がかかるからいい」と断ります。
「私看護婦なのに、病人がお金のせいで治療受けないの見るのもう嫌なんです」と、町医者を呼ぶも胃炎の薬をだして「様子をみましょう」程度の対応でした。
直美は、おかゆを作ったり部屋を整えたりと、病院の仕事がないときは懸命に看護をします。文と接するうちに「この人がお母さんかも」という思いが膨らみ、より確かな証拠が知りたいという気持ちもあったことでしょう。
けれども、白いエプロンをしながら看護をするうちに「看護婦による在宅看護の必要性と可能性」が、より具体的に見えてきたのではないでしょうか。
病院にはお金がかかると断る文を懸命に看病する直美(NHK「風、薫る」公式サイトより)
貧しい人々を無償で看護する『慈善看護婦会』設立原案伝記小説によると、新潟に行った大関和は、女学校の舎監の仕事を経て、元大学病院の外科助手・瀬尾原始(ドラマでは黒川勝治/平埜生成)に誘われ、明治24年頃、彼が院長の「知命堂病院」で、再び看護婦長として働くようになります。
直美のモデル鈴木雅は、大学病院を辞め、東京の本郷森川で『慈善看護婦会』を設立。当時は、大病院が家庭に看護婦を派出することはありました。
けれども雅が設立したのは『貧しい人々を無償で看護する』方針の派遣看護婦の会です。
実は、雅はアメリカに留学予定だったのです。けれども、横浜で船に乗る前に事故に遭ってしまいました。そして、アメリカ人医師と出会い、当時流行っていた天然痘患者の看護に追われ二週間も働くことに。
もちろん、船には乗れず留学はとりやめになりました。
その後、雅は明治29年(1891)に『慈善看護婦会』を設立することになったのでした。大関和はすぐに雅の『慈善看護婦会』を訪れます。場所は以前働いていた第一病院の前だったそう。
そこには、以前第一病院で講習を受けていた看護婦たちもいました。
雅は、第一病院の医師たちを訪ね、事業内容を説明して看護婦の派出をお願いしたそうです。
中には「鈴木雅が看護婦仲介業を始めたそうだが、まあ実行するのは30年後だろう」とバカにする医師もいたとか。
相変わらず、看護婦差別・働く女性差別の医師はいたようです。
「以前働いていた、第一医院のような大病院で働く看護婦も必要ですが、私は、看護婦が主体的に働けるような職場を作りたかった。ここの看護婦たちは病院にかかることのできない患者の側です」だという雅。
医療現場の主役はまさに「患者」。患者のために主体的に働くという考えに和も共鳴したのでした。
前列右より二人目が大関和、中央がアグネス・ヴェッチ、左が鈴木雅と推定。1888年10月26日卒業記念時(wiki)
雅は夫の遺産を『慈善看護婦会』に注ぎ込む第一病院のほか第二病院で働く看護婦も協力し、質の高い医療や看護を提供、裕福な家庭からは多めに報酬をもらうという雅。
また、医師の処置が必要なときは第一・第二に搬送できるようしました。
実際の雅の生い立ちはドラマの直美とは違います。雅は、先だったの夫の遺産を、聴診器や蒸気吸入器といった医療機器に全て注ぎ込んだそうです。
「ですから失敗するわけにはいきません」と和に語る雅。こういう思い切りのよさは、直美を彷彿させますね。
雅の『慈善看護婦会』の設立は日本の看護における革命的な出来事でした。
「数少い職業看護婦が金持階級に独占され、庶民階級にとって看護婦が高嶺の花ともいうべき存在であったことに義憤を抱き、広く庶民にも看護婦を派遣しようという目的のもとに、日本最初の派出看護婦会を創設したのが鈴木まさであった」(明治医事往来 立川昭二)
高い評価を受けた雅の『慈善看護婦会』の看護は、3ヶ月ほどで依頼が続出するほど大評判となったそう。まさに現代にも続く「在宅看護の祖」鈴木雅。
「明治時代の偉人」というと名前が挙がるのは政治家・軍人など男性が多いもの。
けれど、当時蔓延していた「女性差別」「看護婦差別」と戦いながら、日本の看護の道を切り開いてきた大関和や鈴木雅ほかの女性たちは、本当にリスペクトできる「偉人」だと思います。
その後の雅の「派遣看護」については、また別の記事でご紹介しましょう。
参考:『明治のナイチンゲール 大関和物語』田中ひかる
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