「30年間、小さな庭を見つめ続けた画家」熊谷守一 ──“画壇の仙人”になるまでの波乱の人生【前編】 (2/2ページ)

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長野重一・飯沢耕太郎・木下直之編『日本の写真家 9 安井仲治』、岩波書店、1999年02月25日

苦しい生活の中で相次いだ家族との別れ

1909(明治42)年、自画像《蝋燭》が文展に入賞し、画家として少しずつ知られるようになりました。

とはいえ、生活は苦しいままでした。作品が思うように売れず、家族を養うことにも苦労が続きます。

42歳で18歳年下の秀子と結婚し、5人の子どもに恵まれましたが、幼い息子・陽は肺炎のため3歳で亡くなりました。当時は医師に診てもらう費用さえ十分ではなかったと伝えられています。

守一は、その日の出来事を《陽の死んだ日》として描き残しています。しかし後年、その作品を見返して「これでは人間ではない。鬼だ」と語ったとされます。その言葉からは、父親として抱え続けた後悔や自責の念が伝わってくるようです。

その後も長女・萬、三女・茜を病で亡くし、大切な家族との別れを幾度も経験しました。

現在では「猫の画家」という親しみやすい印象が先に立ちますが、その穏やかな作品の背景には、こうした深い喪失の積み重ねがありました。

それでも守一は描くことをやめませんでした。

やがて晩年になると、自宅の小さな庭で過ごす時間が何よりも大切なものになります。その庭は、熊谷守一にとって単なる庭ではなく、一つの世界そのものだったのかもしれません。

後編では、熊谷守一がなぜ小さな庭だけで満たされるようになったのか、そして「画壇の仙人」と呼ばれるようになった理由を詳しくご紹介します。

参考文献

藤森武 『独楽 : 熊谷守一の世界』紅書房、1986年。 長野重一・飯沢耕太郎・木下直之編『日本の写真家 9 安井仲治』、岩波書店、1999年。 田村祥蔵『仙人と呼ばれた男―画家・熊谷守一の生涯』中央公論新社、2017年。 福井淳子『いのちへのまなざし―熊谷守一評伝』求龍堂、2018年。 古川秀昭『熊谷守一 気ままに絵のみち』(ミネルヴァ日本評伝選)ミネルヴァ書房、2019年。 熊谷守一(絵)、ぱくきょんみ(文)『はじまるよ』福音館書店、2019年。

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