【豊臣兄弟!】「自分を殺そうとした男」の側室に…秀吉に処刑されかけた姫・南局を襲った数奇な運命
豊臣秀吉(羽柴秀吉)と言えば大の女好きで知られており、その側室は200人とも300人とも言われるほどでした。
今回はそんな一人・南局(みなみのつぼね)こと山名茜(やまな あかね)を紹介したいと思います。
果たしてどんな女性で、どんな生涯をたどったのでしょうか。
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『豊臣兄弟!』10代で散った小一郎と慶の嫡男・与一郎(大西利空)。豊臣家の跡継ぎを襲った悲劇 秀吉に捕らわれ、逆さ磔にされる
山名茜は生年不詳、父親は因幡国鳥取城(鳥取県鳥取市)を治めていた山名豊国(とよくに)です。
時は天正8年(1580年)、羽柴秀吉が因幡国へ攻めてきました。
さっそく鳥取城の守りを固めた豊国ですが、秀吉はいきなり進路を変更し、鹿野城(しかのじょう。同市)を攻め落とします。
ここには茜をはじめとする女性や子供たちが毛利輝元に対する人質として収容されており、秀吉は彼女たちをダシに降伏を迫るつもりでした。
果たして茜たちの身柄を奪取した秀吉は、鳥取城へ向かいます。
「人質の命が惜しくば、ただちに降伏せよ。降伏すれば因幡一国を安堵(統治権を保障)しよう」
秀吉の勧告に対して、豊国はそれを拒否しました。
「断る。我々は卑怯な脅しに屈することはない!(キリッ)」
「なるほど。であれば致し方ない。よし、やれ!」
交渉が決裂するや否や、秀吉は見せしめとして、人質たちを一人ずつ磔刑(たっけい/はりつけ)に処します。
なぶり殺しにされ、悶絶の中で死んでいく女性や子供たちの叫び声が、鳥取城内まで響き渡りました。
自分の妻子を殺される者はもちろん、赤の他人であっても心を痛める者は少なくないでしょう。
もちろん豊国とて気が気ではなく、愛娘の茜を案じながら葛藤に悶えていたようです。しかし悶ようがのたうち回ろうが、このままでは茜の惨殺は免れません。
オロオロしながら城外へ目をやると、いよいよ茜が磔台に架けられていました。
茜の身体は天地逆さに磔(はりつ)けられ、みどり豊かな黒髪が地面へと垂れ下がります。
そして両脇から雑兵が槍を構え、今にも茜の身体に突き立てようとしていました。
間一髪で助けられ、秀吉の側室に
耐え切れなくなった豊国は、ついに降伏を申し出ます。
「やめろ、やめてくれ!降伏する!降伏するから茜だけは助けてくれ!」
父親として、目の前で茜が殺されることには耐えられませんでした。
……あの娘を殺させたらんは。吾浮世に在て何かせん。出家入道して。高野粉川の奥にも入ぬべし。身を捨(すて)国を切取も。子共等か栄耀を思ふにこそあれ……
※『陰徳太平記』巻之六十四「山名豊国心替付森下中村背豊国事」より
【意訳】茜が殺されてしまったら、わしはこの世で何をすればよいのか。出家して高野山に籠もるしかない。親というものは、命を捨てて一国の主となっても、子供たちが幸せになる以上の望みなどないのだ。
それはもちろん、ごく当然の感情ではあるのですが、すでに妻子を殺されてしまった家臣たちは
「どうせ降伏するのだったら、最初から降伏すればよかったではないか!」
「そうすれば我々の妻子は殺されずにすんだのに、これではまったく殺され損ではないか!」
「自分の娘が可愛いのは当然だが、他人である我々家臣の妻子など、どうでもいいと思っていたことがよく分かった!」
など、豊国を深く恨んだことでしょう。助けられた茜に対しても、複雑な思いを抱いたであろうことは想像に難くありません。
かくして娘を助けるため、秀吉の軍門に降った豊国ですが、約束通り因幡一国を安堵されるかと思いきや……。
「何をたわけたことを。あれは『すぐに降伏すれば』の条件じゃ。無駄に渋った者をそこまで厚遇してやる義理などないわい!」
とばかり、あっさりと反故にされてしまいました。
辛うじて鳥取城主としての地位を保った豊国ですが、すっかり人望を失ったため、重臣の森下道誉(もりした どうよ)・中村春続(なかむら はるつぐ)らによって追放されてしまいます。
いっぽう茜は秀吉の側室となり、南局と呼ばれるようになりました。秀吉とすれば、落ちぶれたとは言え、名門・山名氏の娘を側室に抱えることで、自身のステイタスを高めたかったのでしょう。
果たして秀吉から寵愛されたのか、どのような生活を送ったのか、詳しいことはわかっていません。
秀吉は気にしてなかったでしょうが、茜にすれば秀吉は「自分を殺そうとした男」です。純粋に愛情を持てというのは酷でしょう。
結局秀吉との間に子供は生まれず、秀吉より長く生きたのか、あるいは先立ったのかについても不明です。
山名茜・基本データ
生没:生没年不詳
出身:因幡国
両親:山名豊国/生母不詳
伴侶:羽柴秀吉
子女:なし
称号:南局
身分:側室
死没:不詳(大坂城か)
終わりに
今回は秀吉が抱えた側室の一人・南局こと山名茜の生涯をたどってきました。
自分を処刑しかけた男と結婚させられ、その後はずっと飼い殺し。その生涯は不幸にしか見えないでしょう。
しかし彼女がどんな性格で、どんな生き方を選んだのかまでは史料に残っておらず、人知れず一縷の希望を見出していた可能性も否定できません。
心ならずも秀吉の側室にされてしまった女性たちと助け合いながら、気丈に生き抜いた可能性を信じたいところです。
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『豊臣兄弟!』10代で散った小一郎と慶の嫡男・与一郎(大西利空)。豊臣家の跡継ぎを襲った悲劇※参考文献:
楠戸義昭『豊臣秀吉99の謎』PHP研究所、1996年1月 桑田忠親『日本歴史叢書30 桃山時代の女性』吉川弘文館、1972年9月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan
