【豊臣兄弟!】光秀・秀吉、涙の茶室。“主”は違えど忠義は同じ…始まる豊臣の「天下への道」
「わしが誠にお仕えしたかったのは、生涯ただ一人…公方様だけじゃ」
最後、実にいい表情を見せた明智光秀(要潤)でした。
捕らえた光秀を茶室(に見立てた仏間か)に招き、貴人台に口の金覆輪がはえる油滴天目の茶碗で茶をたてて“もてなす”秀吉(池松壮亮)。
二人の「忠義を尽くす“主”は、生涯にたった一人だけ」思いは同じでした。
その“主”のこそ違えども、「あの方の作る世が見てみたかった」という、願いも共通していました。
たった一人の主・織田信長(小栗旬)に忠義を尽くす秀吉。
たった一人の主・足利義昭(尾上右近)だけを思ってきた光秀。
薄暗い茶室の中で、そんな二人を見つめる阿弥陀仏の手は、九品往生のなかでも最上級の『上品上生』の形でした。
極楽浄土に導かれる“最も善き人” などを表す形だそうです。
背後から差し込む陽光に全身を包まれた光秀の、“これから行く先”を示しているようでした。
「豊臣兄弟!」第29回『天下への道』。
心の中の思いを吐き出して「悔いはない」と笑みを見せる光秀、頬に流れる涙が止められない秀吉。
抱える思いは同じ二人のやりとりは、誰も加わわることのできない、静かで真摯な“決戦”のようでした。
いよいよ、豊臣の「天下への道」が始まった秀吉と、最期を迎える光秀が織りなした名場面を中心に振り返って考察してみたいと思います。
意外なストーリー展開となった「天下への道」(NHK「豊臣兄弟!」公式「X」より)
秀吉は「山崎の戦い」に間に合わなかった…「本能寺の変」後、頼りにしていた畿内の諸将の多くは味方になってくれず窮地に落ち込まれた光秀。
実際、秀吉や摂津衆(池田恒興・高山右近・中川清秀)らと光秀が激突した天正10年6月13日の「山崎の戦い」は、現在の京都府大山崎町周辺で行われました。
ところが、「山崎の戦い」に関しては新説が浮上しています。
2026年に公開された「小寺職隆・生駒七郎右衛門尉宛、羽柴秀吉書状」によると、「織田連合軍が明智軍と戦って勝龍寺城に撤退させ、山崎には先発隊が陣を張っている。自分(秀吉)も明日には西岡(勝龍寺城がある)に到着するので安心してほしい」という内容が記されていたそう。
ところが、光秀は勝龍寺城には籠城せず先発隊に討ってでたため、「秀吉は山崎合戦には間に合わなかった」という説が注目されています。
見誤った秀吉が遅刻したため、光秀討伐の第一の戦功者は池田恒興(堀井新太)と摂津衆で、彼らが本来の信長敵討の立役者だ…いう説もあります。
光秀の尊厳を重視した秀逸の茶室ストーリー
兵力差が歴然だった「山崎の戦い」は、短時間で決着。光秀は敗軍の将となり、「逃亡中に、農民らの落ち武者狩りに遭遇し命を落とした」説が有名です。
けれども、「豊臣兄弟!」では「落武者狩りに殺害」というエピソードにはしませんでした。
このドラマで描き続けて来た光秀像は、賢く人間力があり真面目過ぎるほど忠義に篤く優しい人物像。そんな、光秀の尊厳を重視した斬新かつ秀逸なストーリーとなりました。
竹藪のなかを逃げる光秀を捉えた石田三成(松本怜生)。
問答無用で首を斬る……ということはせず、生きたまま光秀を捕えて、秀吉の待つ茶室に連れて来ました。
秀吉は、光秀と茶室で二人きりになり、どうしても聞いて確かめたいことがあったのでした。
それは……「蟄居中」だったのに自分が信長に頼んで許してもらった織田信澄(緒形敦)のこと。
少し前、敵討に燃える織田信孝(結木滉星)が「織田信澄を処分した。あれほど目をかけてやったのに。逆賊の子は逆賊!父上も甘いな」といった言葉が胸に重くのしかかっていたのです。
自分が、信澄を許すように上様に頼んだことが仇になったかと悩む秀吉。
「いざいくぞ!」と怪気炎をあげる信孝に「今動くのは、危険です」と引き留めた秀吉。
「よくもそんな平静なことを!」と怒る池田恒興に対し、「平静?」「わしのはらわたはにえくり返っておりますぞ」といった時の秀吉の顔がすごかった。
今までの秀吉とはガラッと変わった別人のような表情でした。顔つきも声も、すでに「これからなっていく豊臣秀吉」そのもの。
高い演技力が評価をされている池松壮亮さんですが、この目つきや声の変わりようは、ネットでも驚きの声が上がっていましたね。
けれども、そのときの表情は微塵も出さず、秀吉は静かに座して茶の準備をしつつ光秀を迎え入れたのでした。
竹藪で囲まれた明智光秀。(NHK「豊臣兄弟!」公式サイトより)
「自分が上様を死に追いやった」という後悔仏間と見られる狭く暗い部屋の中で、光秀をもてなす茶をたてる秀吉。
信長から「毛利を倒した暁には茶会をしよう」といわれていたので練習をしていたのでしょう。
そして、静かに「教えてくだされ。なぜ?上様を討った。信澄様と手を結んでおられたのか」と聞きました。
光秀は「こたびのことはわしがひとりで決めたこと。たまたま好機に巡り合っただけ。」と否定します。
「安堵致したか?わしからその言葉を聞きたかったのだろう。上様が死んだのはおのれのせいではないと思いたかったのだろう。」
「その通りじゃ。お前などかかわりなきこと。思い上がるでないわ。やったのはわしじゃ。わしの手柄じゃ」と激昂します。
何もかもお見通しの光秀。この言葉は、共に戦ってきた秀吉への思いやりなのか。それとも、愛する上様の名前や花印を真似て自分を利用した信澄は許せないのか。
「なぜでござりまする。あと一歩で上様の望む新しき世となったのじゃ」と、涙ながらに光秀に訴える秀吉。頬には滂沱の涙が。
茶室の場面。後光が指しているように見える光秀と影に取り込まれたように見える秀吉の対比。(NHK「豊臣兄弟!」公式サイトより)
「わしが生涯お仕えしたかったのは…公方様だけじゃ」激昂した様子だった表情が緩み肩の力が抜けたように見えた光秀は、心の底を明かしました。
「わしも一度は上様の作る世を信じようと思った。しかしだめであった。」
「わしがみたかったのは、足利義昭様の世じゃ。わしが真におつかえしたかったのは生涯ただひとり。公方さまだけじゃ」
涙ながらに語る光秀。
「信長に奪われたものを今一度取り戻したかった……」といい、無言で涙を流し続ける秀吉を見て、ふっと軽くため息をつき、笑顔を見せてから「悔いてはおらん、羽柴どの 存分に恨みを晴らすがよい」。
その茶室での最期のカットが、冒頭で触れたように、仏像の手が九品往生のなかでも最上級の「上品上生」(下の写真の仏様の『手』)の形になっていたのも印象的。
まるで、光に包まれたように見える光秀は、死してすぐに極楽浄土に行くよう、阿弥陀仏が約束しているかのようでしょた。
光秀を見つめる仏の手は「上品上生」になっていた。木造阿弥陀如来坐像 (平等院・鳳凰堂)wiki
「あの人が作る世がみたかった」の言葉に決意する秀吉誠に仕えたい相手は違うものの、秀吉はその光秀の心や思いは我がことのように理解できるのでしょう。
あえて殺す場面は映さず。「明智殿の首は、百姓の落武者狩りから我らに届けられたことにする。」と、福島正則(松崎優輝)加藤清正(伊藤絃)らに告げた秀吉の目からは涙が消え、決意がみなぎっていました。
「たった一人、誠を寄せて仕えた“主”、公方様が作る世をみたかった」という光秀の言葉に、信長が「空のように境目のない世を作りたかった」という言葉が蘇ったのでしょう。
そして、そんな「上様が作りたかった世を作るのは、織田家のものではない。わししかおらん」と決意したのだと感じました。
光秀を演じた要潤さんはインタビューで「落武者狩りで終わるのではなく、秀吉との対話があることによって、本能寺の変も含めた光秀の思いをすべて発散でき、光秀の生き様を濃密に表現できた」とのこと。
確かに、今までの中で一番、心に残る秀逸な描き方だったと思います。
「死ぬ」場面は見せずあえてぼかした終わりとなった光秀の最期。(NHK「豊臣兄弟!公式サイトより)
羽柴与一郎の死も己が「覇道の者」を決意する理由に初陣で愛する息子・与一郎(大西利空)失い、「なんのために侍になったんじゃ」と慟哭する小一郎。
「偉くなってもちっとも変わらん。」戦で大切な人を失ったあの頃とはまったく変わってない。何のために侍となり、何のために戦っているのか…と。原点は忘れてはいませんでした。
秀吉は小一郎を抱きしめ「この世は何かが間違っておる。だから、わしが変える。」といいます。
「まだ我々の秘め事。信雄殿(山脇辰哉)でも信孝殿でもない。このわしが上様の想いを継ぐ」と。
もともと、秀吉は農民出身なので「代々、子が家を継ぐ」という概念が薄かったともいわれています。
とうてい上様には及ばなそうな二人の息子を見て、「自分がみたかった上様の世」はとてもではないが作れまいと判断し、覇道の者の後を継ぎ、覚悟を決めた秀吉。
第25回『変事の予兆』で、「天下一統の情けなどいらぬ。 血も涙もなき、覇道の者。 それが…織田信長よ」と、暗い表情で目の光を失った信長が安土城で行っていた言葉を思い出します。
その、道を今秀吉が継ぐ。あのときの信長が乗り移ったかのようでした。
小一郎の子・与一郎が死んだことも引き金に。(NHK「豊臣兄弟!」公式サイトより)
秀吉が「最高権力者はわしじゃ」を知らしめていく……次回、第30話『清洲会議』。
織田信長亡き後の後継者と領地の分配を決める「清須評定」が、尾張・清須城で行われることに。
変化した秀吉が、最高権力者が誰であるかを知らしめていく……情けなどいらない覇道の者になる覚悟をした秀吉がどう行動していくか楽しみですね。
次回、8月2日(日)はお休みで9日(日)の放送になります。
それまで、今回の一番秀逸なストーリーと役者さんの絶妙な演技で酔わせてくれた今回を再度、楽しみたいと思います。
(衣装デザイナーの黒澤氏が、SNSで「秀吉の家臣の官兵衛、正勝、長康も着るようになりました」と皆の陣羽織の説明をされてたので、衣装もじっくり拝見。)
参考:明智光秀 織田政権の司令塔 福島克彦 著
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan