対話がダメなら殺し合い!戦国時代の農民はガチで武器を持っていた…秀吉が発した“喧嘩停止令”とは? (2/5ページ)
ここで言う喧嘩とは、子供がポカポカ殴り合う可愛らしいレベルではなく、村落単位での武力抗争を指します。
それぞれ手に手に得物をとり、鍬や鎌などの農具から、槍や鉄砲などのガチ武器まで様々でした。
そんなものどこで手に入れた?と言えば、近くで合戦があった時に拾ったか、略奪でもしたのでしょう。
売って金銭に換えてもよし、そのまま隠し持っておき、ここ一番の時に持ち出すこともあったと思われます。
銃刀法なんて存在しない時代ですから、思い思いに武装を揃えて自慢したり、あるいは使用したりしていたのでしょう。
それで喧嘩の理由は何かと言えば、例えば水争いや山争い、逃げ込んだ罪人の始末や私怨などいくらでもありました。
水争い:農作物に引く水を巡る訴訟や争論、そして武力抗争 山争い:杣(そま。村落単位で共有する山)の資源確保を巡る訴訟や争論、そして武力抗争みんな生きていくために必死ですから、譲り合う余裕など(あまり)ありません。
話し合いでダメなら殺し合いで決めよう、とばかりに全国各地で「喧嘩」が繰り広げられたのでした。
戦国乱世の主役は武士階層だけではなく、あらゆる人々が生き延びるために眼光を爛々とさせていたのでしょう。
そんな殺伐とした世の中では治安が乱れるのは当然です。
生活と将来に対する不安と不満が鬱積すれば、いつかお上(豊臣政権)にぶつけてこないとも限りません。
だから秀吉は非武士階層の無抵抗化を図ったのでした。
具体的な内容や時期は?
かくして発せられた喧嘩停止令ですが、実はいつ・どんな内容で発せられたのかについて、詳しいことはわかっていません。