【江戸の夜遊び】蕎麦をすすりながら街娼を眺める…現代人には理解不能すぎる江戸時代の娯楽「夜鷹蕎麦」とは?
江戸の夜には、現代では少し意外に思える娯楽がありました。それが夜鷹(よたか)見物です。
夜鷹とは市中に立つ街娼のことで、現代風に言えば立ちんぼといったところでしょうか。
もともと夜鷹というのは夜行性の鳥のことですが、彼女たちは夜に出現することから、この名前がつけられたのでしょう。ちなみに地域によって呼び名はちょっと異なるようです。
江戸の町では多い時で4,000人ほどの夜鷹がいたとされています。
江戸時代の下級遊女の苦しみ…”夜鷹”と呼ばれた女性たちの実態『天言筆記』には、夜鷹が珍しく出ると屋台が大繁盛したと記されています。彼女たちが姿を見せると多くの人が集まったのです。
屋台ではあんかけ豆腐や茶めし、燗酒、鮨、おでんなどが売られ、夜の町はにぎわいました。
土手に腰をかけ、蕎麦をすすりながら夜鷹を眺めるという風景もあったようです。今の時代ではちょっと理解しがたいですが、現代の夜桜見物に近い感覚だったようです。
こうした文化を支えていたのは、性風俗に対しておおらかな江戸人の気質あってこそだったようでしょう。
夜鷹の人気を示す資料として、夜鷹番付が作られたことも象徴的です。
番付には五十七歳から十六歳まで五十四名が掲載され、容姿や性格まで書かれていました。三日で発禁になるほどの売れ行きだったとされ、当時の関心の高さがうかがえます。
「夜鷹蕎麦」の誕生夜鷹が特に話題になったのは、天保の改革のあとでした。
ご存じの通り、天保の改革では水野忠邦が奢侈禁止と風紀粛正を掲げ、厳しい取り締まりを行いました。このため街娼たる夜鷹たちは一時的に姿を消しましたが、政策が緩むとすぐに戻ってきました。
その反動で、以前よりも目立つ存在になったのでしょう。
江戸の町で性風俗を楽しむといえば、誰もが吉原を思い浮かべるでしょう。しかし庶民にとって吉原は格式も料金も高く、気軽に行ける場所ではありませんでした。
一方、市中に立つ街娼は身近な存在でした。生活圏の中で自然に目に入ったことから、庶民の暇つぶしの対象になったのです。
こうして、前述の通り夜鷹が集まる場所には屋台が並び、町はさらに賑わいました。
こうした流れの中で、屋台の蕎麦は夜鷹蕎麦と呼ばれるようになります。
夜鷹蕎麦の名称の由来は、夜鷹見物の場で売られたからだともされますが、別の説もあります。夜鷹の花代が十文で蕎麦一杯の値段も十文だったというものです。
どちらが正しいかは断定できませんし、いくら特定の組織に与しない夜鷹だからといっても、蕎麦一杯の値段で買えるというのはちょっと信じがたい話です。
とはいえ、夜鷹を買う値段はそれだけ安かったということでもあるのでしょう。
夜鷹蕎麦という名前には、庶民の生活感覚がそのまま言葉に反映されたのであり、それはとりもなおさず庶民と夜鷹の距離感の近さを象徴していたのかも知れません。
庶民文化としての夜鷹さて、この通り夜鷹は売春婦の中でも最下層とされ、十文で身を売っていてもおかしくないと思われるほどの立場でした。
悲しきかな、現代もそうですが、こうした存在は時代に関係なくいつでもどこでも存在します。夜鷹たちは、貧困層の女性や老婆、性病のため公の場に出られなくなった女性などで構成されていたといいます。
また同時に、彼女たちは庶民の生活と密接に結びついていました。江戸の夜鷹もまた、社会の底辺に位置しながら確かな存在感を持っていたのです。
夜鷹見物は屋台文化と結びついた江戸の夜の娯楽でした。人々は蕎麦をすすり、燗酒を飲み、あんかけ豆腐をつまみながら夜を楽しみました。
そこには現代とは異なる江戸人ならではの生活感覚がありました。
その身近さが夜鷹見物という独特の娯楽を生み出し、屋台の商売を活気づけ、夜の町に賑わいをもたらしたのです。
江戸時代の「街娼」に関して、下記記事でも紹介しています。
どんだけ恐ろしい?江戸時代、一般素人の主婦や娘たちが売春することを「地獄」と呼んでいた 江戸時代の遊郭の闇。劣悪環境で男性に性的サービスする最下級の遊女「鉄砲女郎」とは? 茶屋で売春?男色を売る男娼までいた?江戸時代には色んなタイプの茶屋があった参考資料:樋口清之『日本史探訪 もう一つの歴史をつくった女たち』ごま書房新社、2025年
画像:Wikipedia,PhotoAC
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