朝ドラ『風、薫る』中村倫也演じる柳生藤次のモデルは誰?明治時代「衛生」に携わった伝説の医系技官の史実

Japaaan

朝ドラ『風、薫る』中村倫也演じる柳生藤次のモデルは誰?明治時代「衛生」に携わった伝説の医系技官の史実

NHK朝の連続テレビ小説「風、薫る」。

第19週『黎明の翼』では、主人公の一ノ瀬りん(見上愛)、黒川病院の黒川勝治医師(平埜生成)たちや、途中から手助けに来た大家直美(上坂樹里)らが懸命に“防疫”に奔走する様子が描かれました。

つい最近、“感染症の拡大が生活に大きな影響を及ぼす”という体験をしただけに、未知の病に対する恐怖や不安から引き起こされるデマや差別などもリアルに感じた人も多かったのではないでしょうか。

ドラマの中でヒロインたちは、避病院の環境を整えるなど奮闘する中、感染者の男性・柳生藤次(中村倫也)と出会います。

柳生は、東京から訪れた男ということで、「お前が感染を持ち込んだ」と周囲から疑われて、避病院の病室には入れずに廊下で寝ていました。

“防疫”班は、誰が感染元かなどは誰にもわからない・差別をしてはならないと患者たちに伝えて、柳生を看病します。

そのおかげで元気になった柳生。キリッとしたスリーピース姿で現れ、内務省衛生局の役人であることを直美に伝えて、世話になったことのお礼を言い、“防疫”班の活躍ぶりを上に報告する……と告げる場面がありました。

この柳生藤次というキャラクターに実在の人物のモデルがいるのか?は、ドラマの公式で発表はありません。

けれども、この当時、柳生藤次のように、現地調査を行い伝染病の衛生や防疫に携わった役人たちがいたのです。

元気になってお礼の挨拶に来た柳生藤次(中村倫也)。(NHK「風、薫る」公式「X」より)

※現代では「看護師」ですが、ドラマの明治時代という背景に合わせて「看護婦」と表記しています。

差別で自分が安心したい……現代人に刺さる言葉

避病院の廊下で寝込んでいた柳生藤次は、白いシャツにサスペンダー付きのズボンという洋装で、あきらかに着物姿の村人とは違う格好でした。

院内で差別されていた藤次を病室に移動させるヒロインたち。

直美が、はっきりと毅然とした口調で「院内での差別を決して認めない」と宣言したのは、本当にかっこよかったですね。

「人のせいにすることで、自分たちが安心したいのかもしれませんが」という辛辣な言葉は、部屋の中にいた患者たちの胸に刺さったようでした。

確かに言葉は手厳しいのですが、直美やりんたち“防疫”班が、感染症患者である自分たちを差別などせず、平等に扱い、身を粉にして世話をしてくれることは痛いほどわかっているはず。

そんな看護婦から発せられた言葉だけに、より感じ入るものがあったのではないでしょうか。

特効薬もなくいつ治るのかもわからず、避病院から出れず家族とも合えないままかもしれない。

そんな行き場のない不安や恐怖から、誰かのせいにして差別し気を楽にしたいという人間の心理は、130年ほど時を経た現代でも同じ……。

つい最近、新しいウイルスの猛威に翻弄された現代人による、医療従事者への誹謗中傷や差別が社会問題になったことが蘇ります。

この時代の“防疫”班は、現代のように使い捨てのマスクや手袋やキャップなどはありません。白い布を用い、こまめに自分たちで洗い、消毒をしていました。これらの作業も大変だったでしょう。

休む間もなく目まぐるしく働いているトレインドナースたちの姿を見ると、改めて知識や経験はもちろんのこと、精神力や体力も求められるすごい仕事だなと感じますね。

避病院の部屋に入れずに、むしろを被って寝ていた柳生。(NHK「風、薫る」公式サイトより)

西洋の“衛生”を取り入れるために『内務省衛生局』が設置

NHKの「風、薫る」の公式サイトでは「柳生藤次」の人物紹介として

りんと直美が新潟で出会う患者。実は、内務省衛生局の役人。新潟でりんや直美たちトレインドナースの活躍をじかに目にした柳生は、看護婦の重要性を強く認識する。

とあります。

実際、柳生藤次のような内務省衛生局の役人たちは明治時代にもいました。

“防疫”どころか、病や怪我を“看護”する……という認識すらなかった日本。

明治維新後、西洋からさまざまな文化や技術などを積極的に取り入れていた明治政府では、“衛生”を意識するようになりました。

そして、明治8年(1875)には、“衛生”を専門に扱う行政機関『内務省衛生局』を設置していたのです。

そこの初代局長を務め、まず日本の衛生行政の基礎を作り上げたのが、医師・薬剤師などであった長與專齋(ながよせんさい)という人物です。

そして、その長與の推薦を受けて、明治25年(1892)に局長を務めたのが、医師で官僚だった後藤新平でした。

この二人が柳生藤次というキャラクターのイメージソースになったのでは?ともいわれています。

“衛生” という言葉を考案した・長與專齋

長與專齋は、天保9年(1838)に肥前国大村藩(現在の長崎県)に代々勤めていた漢方医の子としていまれました。

安政元年(1854)、16歳で緒方洪庵(※)の蘭学の私塾『適塾』に入門し、その後福沢諭吉の後任として塾頭にもなっている人物です。

万延元年(1860)、22歳の頃に長崎に行き、オランダ人医師ポンペのもとで西洋医学を学びました。その後、ポンペの後任・マンスフェルトに医学教育近代化の必要性を諭されたそうです。

明治元年(1868)、長崎精得館(現在の長崎大学医学部)の医師頭取(病院長)に就任。マンスフェルトと共に、「自然科学を教える予科」と「医学を教える本科」に分ける学制改革を行います。

明治4年(1871)には、岩倉使節団に随行して渡欧、医療制度や医学の実地調査などを行い、2年後に帰国してからは、文部省医務局長となり、明治8年(1875)に内務省衛生局の初代局長となりました。

日本にはこの当時『衛生』という言葉がなかったそう。Hygieneを訳して長與が考案したとされています。

その後、明治25年(1892)に衛生行政の後継者として後藤新平を衛生局長に迎えました。

長與は、司薬場の建設、医制の制定、防疫・検疫制度の導入など日本の衛生行政の基礎を築き上げ、大日本私立衛生会を興して会頭に就任、種痘の普及にも貢献したそうです。

※緒方洪庵:江戸時代後期の蘭学者

長与専斎 明治5年伯林にて撮影 35歳。wiki

東京復興の大役を担った・後藤新平

安政4年(1857)、胆沢郡塩竃村(現在の岩手県奥州市)水沢藩士の家に生まれた後藤新平

17歳で須賀川医学校に入学し優秀な成績で卒業、愛知県医学校(現在の名古屋大学医学部)で医師として働くも24歳で学長・病院長になるという異例の出世を遂げた人物です。

明治15年(1882)、愛知県医学校での実績を見出されて内務省衛生局に入り、官僚として病院・衛生に携わることに。明治25年(1892)には、長與專齋の推薦で内務省衛生局長に就任しました。

ところが翌年、相馬事件(相馬藩主の処遇や家督をめぐるお家騒動)に連座して収監、無罪になるも衛生局長は失脚します。

その後、明治28年(1895)には日清戦争の帰還兵への検疫業務を行う臨時陸軍検疫部事務官長として復帰し、見事な手腕を発揮。

「衛生行政のプロ」として上司だった児玉源太の目に止まります。

その後、児玉が日本が統治していた台湾総督府の総督となると補佐役に抜擢。その手腕は高く評価されて、内務大臣・東京市長・外務大臣などの重要な役職を歴任しました。

1928年の関東大震災では再度内務大臣となり、甚大な被害を受けて壊滅状態となった東京復興のに尽力したそうです。

後藤新平 wiki

内務省衛生の報告書に記されている注意すべき伝染病の原因

明治12年(1879)にコレラが大流行した際、内務省衛生局は『虎列剌病(これらびょう)流行紀事』という報告書をまとめました。

また、コレラの予防や鎮静化を目的とした『虎列剌予防の諭解』も刊行しています。

その中で、「虎列刺その他の伝染病の心得」として以下を挙げています。

伝染病の原因の四項目として、
(甲) 空気
(乙) 飲水
(丙) 飲食物
(丁) 他人との交通
と、書いてあり、それぞれの対策が詳しく書いてあります。

これらを見ると、明治時代からすでに清潔、衛生、換気、飲食物や飲水、排泄物の処理などに注意を払うことが重要と考えられていたのがわかります。

ドラマ「風、薫る」でも避病院でこれらの対策を行う様子は描かれていましたね。

基本的には病院勤務のときと同じですが、ものが揃っていない病院以外の環境でこれらをすべて行うとなると、いかに大変かが伝わってきました。

虎列剌予防の諭解 1巻 明治13年 (京都大学貴重資料デジタルアーカイブ)https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00002603?page=33

空気・飲水・飲食物・他人との交通と書いてある。虎列剌予防の諭解 1巻 明治13年 (京都大学貴重資料デジタルアーカイブ)https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00002603?page=33

看護の現場と社会全体のためのルールを作っていく役人と

長與專齋や後藤新平以外にも、現地調査をする内務省衛生局には、名前を特定できないたくさんの技官や雇医なども多く関わっていたのではないでしょうか。

柳生藤次は、そのような伝染病と戦った人々を複合したキャラクターかもしれません。

ドラマでは自身が感染し、トレインドナースの存在の重要性を身をもって体験した柳生藤次。これからも続くであろう伝染病に人材・施設・物資などが不可欠であることを実感し、調達に奔走してくれるのでしょうか。

「風、薫る」の公式サイトの中村倫也さんのコメントの中には

演じる柳生という男は、「社会全体の利益」という視点をもたらす存在だと聞いています。共に「社会」というものを、もう一度見つめ直すきっかけになれれば嬉しく思います。

という言葉があります。

確かに、伝染病が拡大して死者が増えれば、産業や交通などさまざまな分野に支障をきたし、社会が回らなくなってしまいます。(そんな経験を数年前にしただけにリアルに感じます)

現代でも構図は全く同じですが、「現状を把握し将来を見据え規則やルールなどを作っていく内務省衛生局の役人」と、「患者と密に接する現場で仕事をする看護婦」のりんや直美たちとは、当然求める内容やスピードが違うことでしょう。

柳生藤次はりんや直美たち現場の看護婦と、どのように関わっていくのか。興味深く見守りたいと思います。

参考:

厚生労働省「伝説の医系技官」長與專齋・後藤新平
長崎大学薬学部「長与専斉 第三章近代薬学の定着期」
演虎列剌予防の諭解 1巻 内務省社寺局衛生局編
奥州市立後藤新平記念館「後藤新平略年譜」

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