『風、薫る』の舞台にいたもう一人のヒロイン――幕末のジャンヌ・ダルク、新島八重がみせた銃から看護への転身

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『風、薫る』の舞台にいたもう一人のヒロイン――幕末のジャンヌ・ダルク、新島八重がみせた銃から看護への転身

NHK朝の連続テレビ小説「風、薫る」。

日清戦争が始まり、『広島の陸軍病院』が登場しました。

そして、ヒロインたちの仲間、玉田多江(生田絵梨花)がその病院へ篤志看護婦として赴任。「赤い十字」のマークが付いた白いユニフォーム姿に身を包み、将兵を相手に“看護”に奔走する姿が描かれました。

篤志看護婦は、日本赤十字社を支えるボランティア組織「日本赤十字社篤志看護婦人会」が始まりです。

今のところ「風、薫る」のドラマには登場していませんが、実際に、日清戦争時、広島の病院に篤志看護婦として出向いた人物の中に、NHK大河ドラマ『八重の桜』の主人公「幕末のジャンヌ・ダルク」と呼ばれた新島八重がいました。

戊辰戦争の 「鶴ヶ城籠城戦」において銃を担ぎ、新政府軍と勇敢に戦った八重は、明治に時代が移り“銃を持つ手”から“看護する手”へと転身し「日本のナイチンゲール」と呼ばれるようになったのでした。

※現代の「看護師」ではなく、時代背景に合わせて明治時代の名称「看護婦」としています。

春の鶴ヶ城 新島八重像 photo-ac

「ジャンヌ・ダルク」から「ナイチンゲール」へ

新島八重の人物像を表現する言葉としては、「幕末のジャンヌ・ダルク」「会津の巴御前」「元祖ハンサム・ウーマン」という、勇ましく戦うかっこいい女性をイメージするものが有名です。

戊辰戦争でスペンサー銃を持って参戦した、八重の活躍ぶりからつけられたものでしょう。

実際に、新島八重を描いた小説やテレビ番組、漫画やアニメなどでもこれらのフレーズはよく用いられています。

例えば、2013年のNHK大河ドラマ『八重の桜』のキャッチフレーズは「この時代、咲いてみようじゃないの」

武家の娘ながら銃や大砲を扱い、断髪の男装で戦う八重らしいかっこいいフレーズですよね。

八重は、江戸時代末期の弘化2年(1845)、会津藩の砲術師範・山本権八の家に生まれました。若い頃から砲術に興味を示し兄・覚馬から砲術の指南を受けたそうです。

慶応元年(1865)八重は20歳の頃、蘭学と武器製造などを教えていた川崎尚之助と結婚しました。

その後、慶応4年(1868)には『鳥羽・伏見の戦い』を皮切りとした戊辰戦争が勃発し、会津藩は旧江戸幕府軍に付いて明治政府軍と戦うことに。

このとき会津藩では、男勝りで美貌の女丈夫・中野竹子らが自発的に組織した防衛隊「婦女隊」が誕生します。

けれども、八重は刀や薙刀で戦う「婦女隊」には参加せず、会津城籠城戦では断髪・男装して家芸であった砲術をもって参加したそうです。

八重が持った銃といえば高価で最新式『スペンサー銃』が有名ですが、これは、兄からの贈り物だったとか。

八重は籠城戦において、そのスペンサー銃よりも、ゲベール銃を使う機会の方が多かった。というのも、スペンサー銃は最新式ゆえに弾丸の製造ができず、スペンサー銃の弾が切れてからは、主にゲベール銃と大砲でもって、新政府軍と対峙せざるをえなかったからだ。ゲベール銃は球形弾丸であり、新しく製造が可能だった。(會津物語「時代を紐解くー八重えにしの資料館」)

実際は、ゲベール銃を使う機会の方が多かったようですね。

ちなみに、敗戦度、八重は捕虜となった夫と生き別れたそうです。

洋装する新島八重(1845~1932年)wiki

夫・新島襄が亡くなったあと日本赤十字社の正社員に

八重は明治4年(1871)、兄・覚馬を頼って京都へ行きました。

そして、教育者でクリスチャンの新島襄と出会い、明治9年(1876 )に再婚。

欧米のレディーファートが身に付いていた襄と男勝りの八重は仲のいい夫婦でしたが、夫よりも先に車に降りる八重の姿を見て、「悪妻」などと陰口をいう人もいたそうです。

男尊女卑の風潮が強い明治時代、男性のレディーファースト仕草を腹立たしく思う人もいたのでしょう。けれども、夫の襄はそんな時代に堂々と振る舞う妻を尊敬し「ハンサムウーマン」と呼んでいたと伝わります。

ところが、明治23年(1890)1月、最愛の新島襄は病のため急逝。

八重は「何か社会に貢献できることは」と考えて、同年4月26日、日本赤十字社の正社員になり“看護”の道を歩むことになりました。

戦いを経験し、傷付いた人々を数多くその目で見てきた経験も影響したのかもしれません。

そして、明治27年(1894)7月25日から日清戦争が始まりました。

八重は「日本赤十字社篤志看護婦人会」京都市会の看護取締として、同年の11月ごろから翌年の春頃まで、40人前後の看護婦を率いて広島で4ヶ月の救護活動にあたったそうです。

ただし当時の八重は、正規の看護婦の資格を有していません。そのため副取締に高木ハルと山室サタが任命されています。高木ハルは看護婦の資格を有していたので、実質的な看護業務は彼女主導で行われたようです。(同志社女子大学「篤志看護婦としての八重」)

日本赤十字社本部 1910年(明治43年)当時 wiki

広島陸軍予備病院の第三分院で看護を担当

新島八重が担当したのは、広島陸軍予備病院の第三分院。そこは戦争の負傷兵ばかりではなく、伝染病専用の隔離病棟も含まれていたのでした。(同志社女子大学「篤志看護婦としての八重」)

明治28年、厚生労働省「広島検疫病所」の記録によると、広島でコレラが流行っていたところに、日清戦争の終結で中国から帰国した将兵などにより、さらに感染が伝播したそうです。

そのため、内地と戦地を往復する船に乗った人・馬・物資に対して検疫を行なったことが、今の検疫法の先駆け的存在となったそうです。

看護婦諸姉が三十時間の長き労働を終えて帰り、僅かに制服を脱して余力を養はるるところは実に合宿所の一室中なり。(「日本の黄鶯嬢」女学雑誌407)(同志社女子大学「篤志看護婦としての八重」)

多くの患者がいる陸軍病院で30時間も看護の仕事をしつつ、同じ環境に寝泊まりして生活を続けるのは、相当困難を極めたのではないでしょうか。

実際に、過酷な労働環境で亡くなった篤志看護婦が4名いたそうです。

「風、薫る」のドラマ内で、大山捨松が軍人たちに言った「昼夜の別なく患者のために手を動かし、額に汗する看護婦の名誉も尊重してください」の言葉が思い出されます。

八重は、疲弊する看護婦たちを励ましつつ思いやり、ときには彼女たちの看護を邪魔する不届者は叱り飛ばし精力的に活躍したのかな……など、ふと日赤看護婦のユニフォームに身を包み、忙しそうに動き回る姿が目に浮かんだのでした。

1952年(昭和27年)発行 日本赤十字社創立75年記念切手 描かれているのは当時の女性看護士。wiki

看護婦の功績で女性限定の宝冠章を2回授与

篤志看護婦としての新島八重の活躍は、看護婦の地位の向上にもつながりました。

明治29年(1896)には活躍ぶりが評価され、対象を女性に限定した勲七等宝冠章を授与しています。

その後、八重は篤志看護婦人会の看護学修業証を得て看護学校の助教を務めました。

さらに、明治37年(1904)日露戦争時には、大阪の陸軍予備病院で2か月間篤志看護婦として従軍し、その功績によって勲六等宝冠章が授与されています。

(下写真、明治29年12月25日の項目の右から二番目『新島やゑ』の名前が)

大蔵省印刷局 [編]『官報』1897年01月04日,日本マイクロ写真 ,明治30年. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2947335 (参照 2026-08-27)

八重が、記者に述べたとされる自分の看護体験の中に以下のようなものがあります。

他日人の妻母たらんとする女学生諸子は、何卒看護の片端なりと心得居られたし。
(栗屋七郎「日本の黄鶯嬢―広島に於ける看護婦―」同志社女子大学「篤志看護婦としての八重」)

現代語に意訳すれば、これから将来、人の妻や母親になる女学生の皆さんには、どうか看護の基礎だけでも身につけてほしいと思います。

という感じでしょうか。

この言葉は、「風、薫る」のドラマの中で、看護婦養成所に入学した生徒たちが最初に学んだナイチンゲールの『看護覚書』(Notes on Nursing)を思い出しました。

1859年の初版は、専門職である看護婦向けではなく、家族が病人になったときに看護を行う母や妻などの女性向けに書かれたものだったそうです。

家庭でも“看護”は欠かせないと知っていた八重

「何卒看護の片端なりと心得居られたし」という八重の願いは、120年以上経た今でも実感します。

コロナ感染拡大期、メディアや病院なども「家庭内感染を防ぐ方法」をさかんに報じていました。

病人や怪我人にとって“看護”は欠かせないもの。プロには到底及ばないものの、ある程度の基礎知識を持っていれば自分の“手”で家族を癒すこともできます。

その重要性を、八重は自身の体験から身を持って知っていたのでしょう。

戦時は故郷を守るため「幕末のジャンヌ・ダルク」として戦い、時代が移り明治になると、銃を持つ手を“看護の手”に変えた新島八重。

「日本のナイチンゲール」と呼ばれようになった……というのが納得できる、激動の人生を送った女性でした。

参考:
・會津物語「八重の物語」
・同志社女子大学「篤志看護婦としての八重」「八重の看護団」
吉海 直人(日本語日本文学科 教授
・ご存じでした?日本赤十字と新島八重の深い関わり(赤十字ヒストリー)
・日赤初のボランティア組織【篤志看護婦人会発起人名簿】
・新島八重〜スペンサー銃からバイブルへ八十七年の軌跡 笹川壽夫(著)

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