大河『豊臣兄弟!』に登場なるか?羽柴秀長に仕えた謎多き茶頭・曲音の正体とは
戦国時代、大名や武将たちが茶の湯に熱狂したことが知られています。
かの天下人・豊臣秀吉(羽柴秀吉)も千利休(千宗易)はじめ多くの茶頭を抱え、盛んに茶会を催して権力を誇示しました。
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今回は小一郎に仕えた茶頭・曲音(けいおん。読み諸説あり)を紹介。果たしてどんな人物で、どんな生涯をたどったのでしょうか。
ほとんどが謎に包まれた茶人曲音は生没年不詳、その本名や家族などについても、詳しいことはわかっていません。
茶号の読みは諸説ありますが、『宗湛日記』では圭音、『蓮成院記録』では慶音と表記されています。そのため「ケイオン」と呼ばれていた可能性が高いと見てよいでしょう。
また『松屋名器集』に登場する養花曲庵(ようかけいあん)と同一人物と考えられており、オンがアンと混同されたのかもしれません。
そんな曲音は『松屋名物集』によると京都の新在家(しんざいけ。京都市上京区)に天正7年(1579年)ごろ住んでいたと言われますが、そこの出身であるかは不明です。
茶の湯を誰から教わったのか、そもそもどういう経緯で茶人を志したのかについてもわかりません。なのでもし曲音が物語に登場するなら、この辺りは創作のしがいがあるでしょう。
曲音は小一郎に仕える前、大和国の大名・筒井順慶に仕えていたと言います。どういう立場で仕えていたのかははっきりしませんが、やはり茶人として仕え、実績を積んでいたと考えるのが自然な流れでしょう。
小一郎の専属茶頭となるが
曲音が小一郎に仕えた厳密な時期は不明ですが、大和国を中心に活躍していることから、小一郎が四国征伐の武功によって大和一国を与えられた天正13年(1585年)以降と考えられます。
かくして小一郎の茶頭となった曲音は、大変に重用されました。大和郡山城内には「曲音茶堂(~さどう)」と呼ばれる専用の茶室が設けられたことから、小一郎はよほど曲音を重んじていたのでしょう。
曲音はその期待に応えるべく、天正14年(1586年)の3月と9月、翌天正15年(1587年)1月に城内で三度の茶会を開きました。
しかしそれ以降、曲音の活動は確認できません。最晩年の小一郎が身体を壊してしまったため、茶会どころではなくなったのか、あるいは何か不祥事によって失脚したのでしょうか。
少なくとも、天正19年(1591年)に小一郎が没してからは、他家による引き立てはなかったようです。
もしかしたら、小一郎に(茶人的な意味で)殉じたのかもしれませんね。
終わりに
今回は小一郎に仕えた茶人・曲音の生涯をたどってきました。謎が多すぎて人物像がつかめませんが、果たして大河ドラマには登場するのでしょうか。
もし登場するなら誰がキャスティングされるのか、どのような性格に描かれるのかなど、楽しみが多い人物と言えます。ワンチャン期待しておきましょう!
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大和郡山市『大和郡山市史 本編』1966年7月 和歌山県『和歌山県史 中世』1994年3月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

