【豊臣兄弟!】実際にあった興福寺の呪詛!怪演・磐覚の“仏罰”の元ネタ「名を籠める」の威力が凄まじい
「その罰、この秀長が一切を引き受けよう」
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟」、第37回『秀長の国』。
高額な年貢に苦労する領民を救おうと、適正な年貢に改める検地を行うという秀長(仲野太賀)に、「仏罰が下る」と脅す興福寺の僧・磐覚(ばんかく/坂口涼太郎)。
実は磐覚の仕込みだった災を、本当の仏罰と信じ寺に従っていた庄屋・石川清兵衛(いしかわせいべえ/伊藤健太郎)の手を取り、「まことの、御仏は一生懸命に田を耕す罪なき民に罰をおくだしにはならない」
と諭します。
百姓の苦労を身を持って体験してきた秀長の言葉は、清兵衛や領民たちの心に伝わりました。
今回、登場したさまざまな「仏罰」。
磐覚の嘘の仏罰・城の石垣に使った地蔵・突然切れた秀長からの贈り物である秀吉(池松壮亮)の羽織紐、崩れる工事中の足場……
秀長は、あわや崩れる石の下敷きになるところを間一髪で助かります。
弟の身を案じて祇園社のお札を送った兄の愛が、仏罰に優った展開でした。
この頃から6年後の天正19年(1591)、秀長は病死してしまうので、不穏な予兆を感じた人も少なくないようです。
第37回『秀長の国』の強烈キャラ磐覚の「仏罰」を振り返りつつ、本当に興福寺で行われた「名を籠める」呪詛の儀式や実存する「逆さ地蔵」などをご紹介します。
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庄屋・石川清兵衛と領主となった秀長。(NHK「豊臣兄弟!」公式「X」より)
強烈な印象を残した磐覚強烈なインパクトを残した興福寺の僧・磐覚。
演じた坂口涼太郎さんといえば、大河『べらぼう』では洒落に描かれた「グニャ富」こと初代・中山富三郎を、『風、薫る』藤田先生を、演じたことで知られています。
坂口さんが登場すると、いつも主人公が霞むくらい空気が変わるのがすごいですよね。
今回のNHKの「磐覚」役は、公式では
興福寺一乗院の坊官(在俗の僧侶)。大和の国主となった秀長に、興福寺の使者として謁見する。
と紹介しています。そしてご本人のコメントとして
興福寺にある私が好きな仏像のお姿や表情をお芝居に全部詰め込みました。仏像がお好きな方に気づいていただけたら幸いです。
と。お気づきになりましたか。
強烈な印象を残した、興福寺の僧・磐覚(坂口涼太郎)(NHK大河「豊臣兄弟!」公式「X」より)
阿修羅像ポーズでブチ切れた磐覚実は「仏罰がくだった」と領民たちが恐れた不幸な事件は、磐覚が仕掛けたものでした。
激怒する領民たちに「我らに従わぬ村は、必ずや神仏の罰を受けるであろう!」と、磐覚がさまざなポーズをとって威嚇した場面。
あれは、興福寺の阿修羅像のポーズでした。
そして最後にブチ切れた場面では金剛力士立像のポーズになっていました。
「ひとり阿修羅」と「ひとりブチ切れ金剛力士」を芝居の中に入れてきた坂口さん、さすがです。
阿修羅像は、世界遺産・興福寺に安置される国宝で、若々しい肉体に3つの顔と6本の腕を持つ奈良時代に作られた像です。
3つの顔はそれぞれ微妙に表情が異なり、戦いの神であった阿修羅が、仏教に帰依して悟りを開いていく姿を表現しているそうです。
木造金剛力士立像も、同じく鎌倉時代のもので興福寺の国宝です。
そのポーズを興福寺の僧に取り入れるのは面白い演出だったと思います。
史実に伝わる「名を籠める」呪詛の儀式
実は、室町時代、名前を書いて相手を呪うという、「名を籠める」呪詛のような儀式が存在していました。
文明18年(1486)の3月、大和国最大の荘園領主だった興福寺は、年貢を横領して一銭も納めない箸尾為国(はしおためとも)に談判するも話し合は決裂。
罪状・名前・日付を記した紙片を仏前に捧げて、その身に災厄が降りかかるよう祈る「名を籠める」儀式を行いました。
紙片は、興福寺の5社7堂に籠められ数多くの僧が読経で為国を呪いました。すると、翌月、箸尾が支配する村では「悪病」が流行し100以上もの人々が続々と死んでしまうという出来事が起こり、「名を籠める」呪詛の影響だと人々は恐れたそうです。
呪詛の方法としては、七堂のひとつである南円堂に「仮屋」を建て、そこに多数の興福寺の僧侶が集結して一斉に般若経を転読する「南円堂郡参大般若」が一般的だったのではないかと思われる。(名字を籠める」という刑罰について/九州大学学術情報リポジトリ)
また、寛正5年(1464)にも前例が。
越前守護職の朝倉孝景も、「名を籠める」呪詛の対象とされ屈した人物です。
孝景は、荘園管理職になると次々と年貢を横領。越前にある興福寺所有の荘園のうち自分の従わない村を焼き討ちにしました。
興福寺は事の次第を室町幕府に訴えたものの、幕府も孝景には強く出れず話は進展しないまま。そこで、「名を籠める」呪詛が開始されたのです。
さすがの孝景も呪詛を恐れ、興福寺で力を持つ大物の経覚に泣きつき呪詛を止めるように頼んだそう。
その後、孝景は経覚や寺の僧達に「今後、興福寺をなおざりにすることはせず、忠節を尽くす」起請文を提出し謝罪しました。
ドラマの磐覚は創作の人物ですが、祈り場面は「仏罰がくだる」という場面は、この「名を籠める」呪詛をイメージしたものかもしれませんね。
お地蔵さまを城造りのために没収した秀長
「仏罰が下る」と脅す磐覚の嘘を暴き、「仏罰を必要以上に恐れず正しいことを行う」姿勢を表明した秀長は、藤堂高虎(佳久創)らに「城の石垣にする」といって地蔵を没収しました。
紀行でも紹介していましたが、これは『転用石』と呼び、石垣に使用する石が足りない場合に、地域の墓石や石像、石臼などを使うこともあったのです。
この地蔵は、郡山城に現存しているもので、なかでも『さかさ地蔵』と呼ばれている逆向きに置かれた地蔵が有名。(天守台の裏手、北側の石垣)
石組みの隙間から覗き込むと、逆さになった状態の地蔵を確認できるそうです。なんだか罰が当たりそうな気もします。
転用石のことは、興福寺の塔頭である「多聞院」の僧侶が残した『多聞院日記』にも逆さ地蔵のことが記されているとか。
転用石の多くはわざわざ正面中央部など、人目につく部分に使用されているのは、「領主と領民が一体となった」というアピールでもありますは、石を提供してくれた領民への礼(サービス)でもあたったという説もあります。
大和郡山城のさかさ地蔵(photo-ac)
「仏罰」?から救った秀吉の『祇園社」のお札石垣に用いた地蔵に手を合わせて詫びる秀長。そこに慶(吉岡里帆)が秀吉からの文を持ってきます。
声をかけられて腰を上げその場を立ち去った瞬間、頭上でヤグラを結んでいた縄が切れました。
あわや、石垣の下敷きになるところだった秀長。
慶が持ってきた文を開くと、そこには『祇園社』(現在の八坂神社)のお札が。(これ、秀吉が茶々(井上和)にあげて「無用にございます!」と返されたものでしょうか)
石垣崩壊は本当に仏罰がくだった?と思わせる場面でした。
けれど、祇園社のご利益が勝りましたね。
お札は、秀長にもらった羽織の紐がきれ不穏に感じた秀吉が送ったものでした。
どんなときも、離れていても、危機を察知する「兄弟の絆」が一番優っていた……「仏罰」の最後は、そんな締めくくりになりました。
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清水克行『室町は今日もハードボイルド―日本中世のアナーキーな世界―』
九州大学学術情報リポジトリ「名字を籠める」という刑罰について : 『大乗院寺社雑事記』を手掛かりにして
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