朝ドラ『ブラッサム』28歳差再婚に強引な縁談…珠の父・葉野清治(渡部篤郎)のモデル・宇野俊次の生涯 (3/5ページ)
俊次は次男ですから宇野本家を告げる立場ではありませんでした。
そして明治になると、酒造業は転換期を迎えます。
酒造免許と酒税による納税を伴う近代的な経営へ移っていきました。当然、家業の継承は本家の当主に集中します。
明治30(1897)年11月28日、42歳となっていた俊次と妻・トモ24歳の間に長女・千代が生まれました。のちの作家・宇野千代の誕生です。
しかし明治32(1899)年7月13日、トモが肺結核で病没。このため千代は一時、高森村の宇野本家に預けられました。
失意にあったであろう俊次ですが、周囲からの勧めもあったのか再婚を決意します。
明治33(1900)年5月、俊次は佐伯リュウと再婚。俊次45歳に対し、新妻のリュウは17歳でした。
再婚した二人の間には薫、鴻、勝子、光雄、文雄の4男1女が誕生。千代とを合わせて6人の子供の父として、家長として、俊次は家の中心にいました。
リュウは、実子ではない千代を大事に養育。長女であることを重んじて、美味しいものや風呂の順番を優先させました。
俊次の第二の結婚生活は、いわばリュウによって支えられていたのです。

俊次は代々続く造り酒屋に生まれた。一家の暮らしは実家の仕送りによって支えられていた。
16歳の千代に残した思い出とは?宇野千代の著作によると、俊次には一種の二面性があったようです。
ドラマの清治がそうであるように、俊次自身は馬を好んで育て、競馬に出すなど遊興を好んでいました。
その一方、家庭内では厳格な父親として振る舞い、千代に文芸の本を読むのを禁じたとも言われています。