【豊臣兄弟!】最期は耳と鼻を削がれ…秀吉に3度も逆らった茶人・山上宗二の壮絶な生涯をたどる
大河ドラマ「豊臣兄弟!」、羽柴秀吉(池松壮亮)はいよいよ関白となり、わしに逆らえる者は誰もいないと豪語していました。しかしそんな秀吉に三度も逆らった男がいたそうです。
男の名は山上宗二(やまのうえ そうじ)。果たしてどんな人物だったのでしょうか。
秀吉を激怒させる(1度目)
山上宗二は天文13年(1544年)に誕生し、堺の地で豪商として活躍しました。
本姓は石川、屋号は薩摩屋(さつまや)。また茶人としても活動しており、瓢庵(ひょうあん/ふくべあん)と号しています。
茶の湯においては千宗易(吉岡秀隆)に師事、20年以上の修行を積みました。一説には織田信長(小栗旬)の茶匠として仕え、信長の死後は秀吉に仕えたそうです。
瓢箪(ひょうたん/ふくべ)のようにとらえどころがなく、飄々とした振る舞いで、正しいと思えば空気を読まずにズバズバ言ってしまう性格でした。
そんな宗二の舌鋒は秀吉相手でも忖度なしだったため、天正12年(1584年)に秀吉を激怒させてしまいます。
追放された宗二は、前田利家(大東駿介)にスカウトされて仕えました。性格はともかく、茶匠としての力量は確かだったのでしょう。
秀吉を激怒させる(2度目)
またしても秀吉を怒らせてしまう山上宗二(イメージ/AI生成)
しかし天正14年(1586年)に秀吉と茶席で再会、又しても秀吉を激怒させてしまいました。
こうなってはさすがの利家もかばい切れません。宗二は前田家を脱出して高野山へ逃げ込みます。
天正16年(1588年)ごろから自身がまとめ上げた秘伝書『山上宗二記』の写本を作り、各所へ送りました。
いよいよ死を覚悟したのか、自身の知見を後世に受け継いでほしかったのでしょう。
秀吉を激怒させる(3度目)
ついに堪忍袋の緒が切れた秀吉により、処刑される山上宗二(イメージ/AI生成)
やがて宗二は高野山から関東へ移り、北条氏政(谷原章介)・北条氏直(うじなお)父子に茶匠として仕えました。
しかし天正18年(1590年)に秀吉が北条征伐に乗り出すと、宗二は茶仲間であった皆川広照(みながわ ひろてる)と共に小田原城を出て降伏します。
師匠の千宗易が仲介したため、宗二は秀吉と対面を果たしました。秀吉も三度目の正直、今後こそ心を入れ替えるだろう、と宗二を茶匠として迎え入れます。
しかし宗二はここでも秀吉の意に逆らったのでした。彼は茶の師匠であった北条幻庵(げんあん)に義理立てしたのです。
我が意を知りながら、どこまでも逆らい続ける宗二の態度に、もはや秀吉は堪忍なりません。
秀吉は家臣に銘じて宗二の耳と鼻を削がせた挙げ句、斬首したということです。時に天正18年(1590年)4月11日、享年46歳でした。
終わりに今回は山上宗二の生涯をたどってきましたが、いかがだったでしょうか。
早雲寺(神奈川県箱根町)には宗二の追善供養碑が建立されており、今も彼を慕う人々が参詣しているそうです。
秀吉を善人として描き続ける大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、恐らく登場しないでしょう。
他にも面白い人物がたくさんいるので、これからも紹介していきたいです。
※参考文献:
中田善明『利休と山上宗二』京都書院、1990年4月 火坂雅志『豪快茶人伝』角川学芸出版、2008年1月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan