【豊臣兄弟!】豊臣秀長は「史上最強の留守番」だった!秀吉が安心して全国を駆け回れた意外な理由 (2/4ページ)
半兵衛は戦略を考える役割を担い、秀長は兵や領民をまとめる役割を担いました。二人は家臣同士という関係ではありませんでしたが、それぞれの得意分野がうまくかみ合っていたようです。
竹中半兵衛は知的で沈着、独立心が強い人物でした。理論を重視する戦略型だったと考えられます。
それに対して秀長は穏やかで柔軟、協調性の高い人物でした。状況を見ながら人をまとめる調整型だったわけです。
この違いが、むしろ二人の強みになりました。半兵衛の戦略と秀長の現場対応が組み合わさることで、横山城の安定につながったと考えられます。
半兵衛もまた、秀長の腹の据わった態度に感心していたとも伝えられます。危機に直面しても動じない人物だったことが、補佐役として大きな武器になったのでしょう。
危機でも動じない秀長の性格を考えるうえで、天正5年の出来事も興味深い例です。このころ秀吉は柴田勝家が率いる加賀一向門徒攻めに参加していました。
ところが秀吉は戦術をめぐって勝家と対立し、勝家の指示を無視して長浜へ戻ってしまいます。これは重大な軍律違反であり、信長も強く怒ったそうです。
ただし、当時の信長には北陸、摂津、大和などで敵対勢力が反乱を起こしているという事情もありました。秀吉を重く処罰することが、本当に得策かは別問題だったのです。