オリオン座が古代日本・ヤマト政権を作った!?博多から大阪へ繋がる「三つ星信仰」の足跡
最初の交易ルート
古代日本の文化・文明の中心となったヤマト政権の成り立ちについて、交通網の観点からその起源を探る説があります。
古代日本では、現在のような道路網が整っておらず、北九州と朝鮮半島南部を結ぶ海路が最初の交易ルートとして発達しました。海路の方が安全だったのです。
一方、朝鮮半島南部では、鉄の採取と製鉄技術が進んでいました。このため北九州の人々は鉄を求めて海路を開きます。そうすれば人の往来も発生し、半島側からも渡来者が増えていきました。
鉄製の農具は農業の生産性を高め、その結果、北九州では富を蓄える人々が現れます。さらに半島側でも、より大きな利益を求めて移動する集団が出てきました。
ここで問題になるのは、航海そのものにまつわるリスクです。朝鮮半島から北九州へ向かう船は、対馬海峡で鹿児島方面へ流されることがあったのです。
よって航海者たちは、海上で進む方向を知るための目印を必要としました。そこで選ばれたのが星座です。
三つ星の航海より有力な目印になったのではないかと注目されているのが、オリオン座の三つ星です。
オリオン座の三つ星。右からδ星、ε星、ζ星(Wikipediaより)
ヤマト政権の起源となる集団は、この三つ星を頼りに北九州を目指したのではないかという説があります。
その説によると、こうです。無事に北九州へたどり着いたこの集団は、三つ星への感謝から博多に神社を建てると、さらに数十年後には関門海峡を越え、山口県防府へ移動します。
防府は古くから港湾都市として栄え、奈良時代には国府所在地となりました。ここに定住した集団は、さらに数十年後、瀬戸内海を東へ進んで大阪湾へ到達しました。
そして大阪湾の大和川河口付近にも、三つ星を祀る神社が建てられました。ここからさらに大和川をさかのぼり、交易を求めて定住したのです。
やがてこの集団は鉄製の農具や武器を持ち、地元の部族を支配するようになります。そして大和盆地と河内地方を支配する勢力へ成長し、ヤマト政権の起源となりました。
この説を考えるうえで重要なのが住吉大社です。住吉大社では底筒男命、中筒男命、表筒男命の三神と息長足姫命を祀っています。
そして底筒男命、中筒男命、表筒男命の三神は、オリオン座の三つ星を表していると解釈されているのです。
さらに住吉神社の建立順を見ると、最古が博多、次いで防府、そして大阪となっています。この順番は、三つ星を目印に移動した集団(があったとして)の足取りと一致します。
星が残した記憶大阪の住吉大社は本社であり、大和川にも近い場所にあります。神社の分布だけを見ると、博多から防府、そして大阪へ進んだ航海者たちの移動経路が見えてこないでしょうか。
もちろん、断定することはできません。神社の建立順と移動経路が一致することも、あくまで一つの解釈です。
とはいえ海を渡った人々が星を目印にし、その記憶が神社の祭神として残ったのだとすれば、住吉大社の三神は古代の航海者たちが残した星の記憶だったのかもしれません。そう考えると、ものすごいロマンですね。
ちなみに、ヤマト政権は以前には大和朝廷と表記されることもありました。
しかし、大和という漢字表記は後世に登場したものです。また朝廷という言葉からは、整備された官僚組織を備えた国家を想像します。
ところが初期のヤマト政権は、強力な部族が自らの政権を築いた段階だったと考えられています。そのため、現在ではヤマト政権という表記が使われています。
参考資料:出口治明『10人の英傑が「この国」を変えた 大転換の日本史』2025年、PHP研究所
画像:Wikipedia,PhotoAC
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