戦国時代の大内氏のルーツ「多々良(たたら)」とは?百済王族伝説の真相と歴史的背景を解説 (1/3ページ)
戦国時代、中国地方に大きな勢力を築いた大内氏。その本来の姓が「多々良(たたら)」であったことは、意外と知られていません。
多々良氏は古代にさかのぼる氏族で、『新撰姓氏録』には、任那(みまな)すなわち朝鮮半島南部の王の子孫であると記されています。
欽明天皇の時代に日本へ渡来し、「金の多々利・金の乎居等を献じた」と記されており、その功により「多々良公」の姓を賜ったと伝えられています。
もちろん、これらはあくまで古代の系譜書に基づく記述であり、そのまま史実と断定できるわけではありません。しかし、渡来系氏族が古代日本の政治や技術に大きな役割を果たしたことは確かです。
「たたら」という言葉が金属を精錬する炉を意味することから、金属技術との関わりを指摘する説もあります。鉄は武器や農具の材料として国家を支える重要な資源でした。
もし高度な技術をもっていたとすれば、朝廷に重用された可能性は十分に考えられます。
ちなみに、「たたら」に関しては以前こちらの記事で紹介していますので、ぜひご覧ください。
『もののけ姫』に登場する「タタラ場」とは?「たたら」の本来の意味と歴史を解説 地方行政を動かした実力多々良氏は山城国を拠点に、播磨や周防へと広がっていきます。とくに周防国では、郡司や在庁官人として国衙の行政を担いました。
平安時代後期になると、国司の次官である「介(すけ)」の地位をほぼ世襲し、「山口介」と呼ばれるようになります。これは地方政治の中心的な存在であったことを示しています。
鎌倉時代に入ると御家人となり、武士としての立場も確立します。国衙機構の中で培った実務能力と在地での影響力を背景に、武家としての地位を固めていきました。
