【豊臣兄弟!】軍師・黒田官兵衛には弟が!キリシタン武将・黒田直之、秀長に仕えた猛将の生涯 (2/5ページ)
幼名は惣吉(そうきち)、兄には黒田孝高(官兵衛)・黒田利高(としたか)・黒田利則(としのり)らがいます。
元服して通称を市兵衛(いちべえ)と名乗り、黒田正興(まさおき)・黒田道長(みちなが)などの別名も用いました。また図書助(ずしょのすけ)の官途名を許されたそうです。
天正5年(1577年)に14歳で織田重臣である羽柴秀吉に仕え、後に兄の利則と共に羽柴秀長の配下に転属しました。
しばらくは秀長配下として山陰方面の攻略に従軍し、信長死後も兄たちと共に、秀吉の野望を支えることになります。
官兵衛・長政の二代に仕える
直之が秀長の下を離れたのは天正14年(1586年)のこと。長兄の官兵衛が九州征伐へ出た不在を守るため、黒田家に戻りました。
そして官兵衛が豊前国を与えられると、正式に黒田家臣として知行4,558石を与えられたそうです。
随分と中途半端な石多高ですが、恐らくは適当に与えた土地を検地した結果なのでしょう。
もしかしたら、官兵衛との間で「そなたにはあの山からこっち、あの川までの土地をすべて与えよう!」なんてやりとりがあったのかもしれませんね。
朝鮮征伐(文禄の役・慶長の役)では侍大将として朝鮮半島へ渡航し、大いに武功を立てたそうです。
秀吉死後の慶長5年(1600年)に関ヶ原の戦いが起こると、直之は官兵衛に従って九州戦線(富来城攻め・筑後久留米城攻めなど)で奮戦しました。
戦後の論功行賞で甥の黒田長政(ながまさ。