【豊臣兄弟!】愛ゆえの残酷な別離…「里芋が一番じゃ」の真意と、あさひの初陣に隠された夫婦の誓い

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【豊臣兄弟!】愛ゆえの残酷な別離…「里芋が一番じゃ」の真意と、あさひの初陣に隠された夫婦の誓い

大河ドラマ「豊臣兄弟!」40話『あさひの輿(こし)入れ』。

「長年連れ添った人との突然の別離」そして、「大切な人を生かすための苦渋の嘘」が描かれた回でした。

「豊臣兄弟!」第40回放送内容の話題は、以下の記事でもとりあげています。ぜひ合わせてご覧ください。

【豊臣兄弟!】あさひ&夫・吉成はその後どうなった?用済みとされた数正…史実での切なすぎる結末

兄の政略のため強制的に離縁させられたあさひ(倉沢杏菜)と副田吉成・甚兵衛(前原瑞樹)の夫婦。

「出奔」して秀吉側についた石川数正(迫田考也)と徳川家康(松下洸平)の主従。

かたや「豊臣のため」かたや「徳川のため」、長年寄り添った深く愛する相手との別離はどれだけの痛みを伴うことでしょう。

けれど、“己を抑え相手を生かす”決断をしてくれたパートナーの決断を無駄にしないため、前に進まざるおえない。

それでも、夫婦・主従の「唯一無二の二人の絆は繋がっている」ことも表現されていました。

切ない別離が描かれた40回、あさひと甚兵衛吉成の夫婦の関係を、ドラマのストーリーと史実とともに振り返ります。

豊臣のため家康に嫁ぐあさひと、送り出す夫・甚兵衛(NHK「豊臣兄弟!」公式サイトより)

庭の桔梗が伝える夫婦の『永遠の愛』

お気づきになられましたか?

あさひが“最後の見納め”と眺めていた大阪城内の庭で、『桔梗の花』が咲いていたことを。

密かに城を出ていく甚兵衛と、覚悟を決めたあさひの両方を見送るように、薄紫の桔梗の花たちが揺れていましたね。

そして、場面は変わり、白無垢姿のあさひを出迎える徳川家康の遠江・浜松城の庭にも同じ桔梗の花が、花嫁を出迎えるように優しく揺れていました。

こんな印象的な暗示をされたら、気になって「桔梗の花言葉」を調べた人も少なくないでしょう。

あの青みをおびた薄紫の桔梗の花言葉は、『永遠の愛』『変わらぬ愛』。この言葉を見た瞬間、涙が止まりませんでした。

強制的に離婚させられたけれど、「永遠の愛」「変わらぬ愛」はずっと続く……そんな示唆を、清楚な桔梗の花が語りかけてくれたようでした。

ささやかだけれど、あさひと甚兵衛が真に互いを思い合っていることが分かる、粋な演出だったと思います。

あさひと甚兵衛の夫婦の絆は「永遠の愛」だと語る、庭の桔梗の花。(photo-ac)

『里芋が一番じゃ!』が伝える『変わらぬ愛』

さらに、二人の絆の強さを伝えてくれたのは『里芋』でした。

婚礼の日。

白無垢姿のあさひに、家康は「この浜松には美味しいものがたくさんございます」と伝えます。

「では、まず里芋が頂きとうござりまする」と、物おじせずに即答するあさひ。

思わず怪訝な表情で、「ただの里芋でござるか?」と問う家康。

「はい。ただの里芋が一番じゃ!」と、あさひは花が咲いたような笑顔を見せたのでした。

『ただの里芋が一番じゃ』……「里芋」のセリフで締めくくるとは泣かせる。

天正地震のとき、あさひをかばい腕を怪我をした甚兵衛に、里芋を1個1個「あ〜ん」して食べさせていましたね。

『うまいのうぉ〜!これが一番じゃ』と、相好を崩して喜ぶ甚兵衛。

「夫のこれが一番」な里芋を、家康に所望し「ただの里芋が一番じゃ」というあさひの言葉には胸が詰まりました。

「ただの里芋」ではありません。

政略結婚の相手の家康に「わたしの甚兵衛が一番じゃ!」と笑顔で告げた、あさひの初陣……だったのだと感じました。

「家」のためお互いに決めた別離。けれども、長年寄り添った二人の愛は消えない。

もちろん「史実」ではこのようなやりとりがあったかどうかはわかりません。ドラマのフィクションでしょう。

けれど、「政略結婚で強制的に別れさせられた夫婦」の史実をモチーフに、それでも絆は消えないことを『桔梗』『里芋』で、表現した素敵な脚本だったと思います。

甚兵衛が「これが一番じゃ」というあさひの里芋。(NHK「豊臣兄弟!」公式「X」より)

あさひの“史実”にはさまざまな説が

実際は、あさひの前半の半生自体は記録が乏しく、家康に嫁ぐ以前のことはわからないようです。

そんなあさひの前夫とされる相手は2つの説が。

⚫︎佐治日向守:信長に仕えた秀吉の出世とともに武士となり、この名を名乗ったとする人物。

江戸時代の家康の伝記『武徳編年集成』によると、あさひの夫の名は、佐治日向守としてあるそう。

佐治日向守は、秀吉から、政略結婚話を聞かされたとき、「あさひ姫を返して天下が治まるならば、どうして断ることがあるだろうか」と了承するも、その後自害したといわれています。

⚫︎副田甚兵衛吉成:秀吉に従い、あさひを妻にしたとする人物。

吉成は、秀長の但波国侵攻に従軍、与力として多伊城を与えられ、本能寺の変後に秀吉が大徳寺で行った信長の葬儀奉行を行う……などの記録はいろいろあるようです。

けれども、二人の夫婦関係の内面や日常が窺い知れるような当時の記録はほとんどなく、子供の有無も不明。

「豊臣兄弟!」では甚兵衛説を取り入れたのでしょう。

ドラマでは、仲良し夫婦として描かれてきたので、別離の悲劇がより辛く感じられましたね。

※あさひに関して、こちらの記事も合わせてご覧ください。

【豊臣兄弟!】あさひ(倉沢杏菜)が家康と強制結婚!悲劇的な末路の真相、引き裂かれた夫婦の絆…

村で暮らしていた頃のくったくのないあさひ。(NHK「豊臣兄弟!」公式「X」より)

豊臣を照らし続けた“太陽”は徳川に…

甚兵衛は、あさひを連れて逃げようとするも失敗。

秀長の家臣らに捕まり「密告した者がいた」と告げられ、思わず「お前が裏切ったんだろ!」と、妻に罵詈雑言を浴びせかけ「離縁してくれるわ」と背中を向けました。

甚兵衛、渾身の「下手な芝居」。こんなに悲し過ぎる“毒づき”があったでしょうか。

秀吉(池松壮亮)も秀長(仲野太賀)も、密告者は甚兵衛本人だったことを分かっていました。

甚兵衛は兄弟に「あさひは、子もできない、戦にも行けない、字は下手だし銭勘定にも暗い。自分は豊臣家の何も役に立っていないとずっと悩んでいた。だから、今回の家康に嫁ぐ話はすぐにでも引き受けたかったはず。けれど、わたしなどに遠慮して」と、涙ながらに打ち明けました。

「藤吉郎どの…小一郎どの……あさひを、まこと豊臣の天下を支える一人にしてくだされ」と頭を下げた甚兵衛。

昔のままの藤吉郎と小一郎の名で呼びしたのは刺さりました。

豊臣家では、子をもうけ武士の娘らしく知識も豊富な慶(吉岡里帆)。
跡取り候補にもなる、3人の息子をもうけた姉のとも(宮澤エマ)。
複数の養子を立派な家臣として育て上げ、太閤の妻・北政所として堂々と秀吉を支えるようになった寧々(浜辺美波)。

まさか、あさひが「彼女らに比べて自分は取り柄もないし豊臣の役になっていない」と悩んでいたとは。

だから、せめて太陽のように家族を明るく照らそうといつも笑顔でいたとは。

笑顔の裏にあった、辛過ぎる真実でした。

もちろん、史実のあさひがそのような女性だったどうかを記した史料はないようです。

けれど、実在の人物であるともと寧々を自分と比べ、考えてしまうことはあったかも。

今や、ご立派になられた豊臣兄弟の頭上には、暗雲が少しずつ迫りつつあります。

貧しい百姓時代からずっと明るく家を照らし続けてきたあさひという太陽のありがたさを忘れちゃあいませんか?太閤さんと秀長さんよ……と聞きたい。

太陽を自分たちの手で追い出してしまった豊臣家。

その太陽は豊臣を出て、今度は笑顔で家康を照らすことになりました。

飛ぶ鳥落とす勢いの豊臣から太陽が次の政権・徳川に移っていく……そんな感じがしたのでした。

夫の暴言に傷つくも、すぐに「自分を思いやっての芝居だ」と察知するあさひ。(NHK「豊臣兄弟!」公式サイトより)

「歴史を塗り替えてこそ真の大河ドラマ」

夫が自分の背中を押すため、下手な芝居をしたことをすぐに理解したあさひ。

夫が庭の木陰に隠れて別れを告げに来たことも察し、小一郎(仲野太賀)に話しかけるふりをして、

「私にしかできないことを存分にやってみる。そう思えたのはあんたのおかげ」と言い笑顔で「行ってきます」と、別れの言葉を伝えます。

あさひが泣きの涙で別れるのでもなく、不承不承嫁ぐのでもなく、彼女自身の意思で、自分の進む道を選んだという脚本に、少し救われる思い。

もちろん、史実ではなく創作でしょうけれども。

以前、松永久秀を演じた竹中直人さんが『歴史を塗り替えてこそ、真の大河ドラマだと思っています。』と語っていた言葉を思い出します。

夫婦のお互いを想う気持ちを丁寧に描き、記憶に残るストーリーに展開した今回は、脚本にも俳優さんの演技にも泣かされました。

あさひと家康の結婚

史実では、天正14年(1586)5月、あさひは家康に嫁ぎました。当時、あさひは44歳で家康は45歳。

従来は「秀吉が家康を懐柔するために差し出した」説が中心でしたが、近年の研究では、ドラマと同様、家康側の希望だった説が有力です。

天正14年(1586年)5月24日付の秀吉朱印状に
「家康の事、種々縁辺等の儀迄懇望せしめ候」(家康が縁組などのことを熱心に希望した)と明記されているそうです。

狙いは、秀吉の実の妹・あさひを正室に迎えることで「天下人・豊臣秀吉の義理の弟」の座を手に入れ、政権内での自身の立場を安定・優位にするためと見られます。

家康はすでに正室の築山殿が死去していたために、積極的な縁組を望んだようです。

ドラマでは、輿入れの模様は描かれませんでしたが、あさひは4月に大坂城を出発し、京都の聚楽第を経て東海道を下り、5月11日に三河の西野に到着。

14日に浜松に入り、家康との婚礼を挙げました。輿入れは150人余りの花嫁行列で、銭貨・金銀・嫁入り道具などを多数運んだ盛大なものでした。

あさひの輿入れは、「豊臣・徳川両家の同盟・臣従関係を可視化する政治的イベント」であり、天下人の妹を正室に迎える格式にふさわしい規模・豪華さで秀吉の権威と誠意を示し、なおかつ家康側にも面子を立てる必要があったとされます。

道端の見物人が、ため息を漏らすような豪華な花嫁行列……あさひ姫、全然、嬉しくもなんともなかったろうなあ〜、と440年後の人間は思ってしまうのでした。

浜松城。(photo-ac)

わずか4年間だったあさひと家康の結婚生活

あさひは最初は浜松城、同年の暮に家康が本拠を駿府(現・静岡市)に移すとそれに従い移転先では「駿河御前」と呼ばれました。

家康との暮らしぶりがわかる史料はほぼないようですが、「正室として丁重に扱われた」ようです。

けれども、あさひは嫁いでわずか3年後には病気がちになり、天正18年(1590)京都の聚楽第において48歳で死去。

家康との結婚生活はわずか4年という短いものでした。

ドラマでは、あさひに対して家康が丁寧に接している感じではありましたが、偏屈家康のことだから今後が心配。

せめて、病にふせったら秀吉のもとに戻し、家族に囲まれて穏やかな最期が迎えるようにしてほしいと願います。最期は笑顔でいられるように。

最後に…

家族を犠牲にして手に入れたい「天下布武」とはなんぞや。

「信長の夢みた境界線のない青空のような世の中を作りたい」と言っていたのに、それは自分を支えてきてくれた「女性の家族」を道具として使わなければなしえないことなのかい?と、太閤に面と向かって聞きたくなった今回。(「家がなんじゃ!」と寧々に叫ばせてしまった、前回もでしたが)

そして、「皆が満足し万事円満じゃ」がポリシーだったくせに、「多少の犠牲はつきもの」になり、険のある表情になってきた秀長にも。

豊臣兄弟が、いい人に見えることもあるものの「豊臣の天下」を守ためなら大切な存在も犠牲にするという「黒い野望」でくすんで見えるときも……いよいよ、ドラマも最後が近づいてきたという感じがします。

この先、史実を考えると「豊臣家のハッピーエンド」にはならないで終わるのかもしれないと思いつつ、「家」のために犠牲にならざるおえなかった豊臣の女性たちが、幸せになりますように……と願っています。

「豊臣兄弟!」第40回放送内容の話題は、以下の記事でもとりあげています。ぜひ合わせてご覧ください。

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参考:
・『羽柴秀吉とその一族』黒田基樹(角川選書)
・『豊太閤と其家族』渡辺世祐(日本学術普及会)

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