かつて日本にも存在した「海賊」の終焉…秀吉が「海賊停止令」の3択で迫った完全服従の真相 (2/3ページ)

Japaaan

ざっくりまとめると「今までのような好き勝手は許さない」ということでした。もちろんこれら3ヶ条に従った後で、海賊行為に及ぶことも禁じています。

各海賊勢力は3ヶ条の上どれかを選んで誓紙を差し出し、豊臣政権下に組み込まれていきました。

ちなみに海賊停止令とは歴史学上の便宜的な呼称です。他にも海賊禁止令・海賊鎮圧令・海賊取締令など様々な呼称がありますが、いずれも同じものを指しています。

海賊停止令を発した二つの目的

暴れ回る海賊たち(イメージ)

秀吉が刀狩令と同じ年に海賊停止令を発した目的は、大きく以下の二つでした。

その一つ目は、もちろん兵農分離(兵漁分離)です。海賊たちの多くは専業していた訳ではなく、普段は漁業などに従事していました。

戦が始まると呼ばれたり自発的に乗り込んだりしたほか、縄張りをカモが通ると、航路をふさいで警固料や通行料を要求したのです。

もちろん支払わなければ身の安全は保証しません。武力にモノを言わせて略奪を行い、時には命さえ奪ったことでしょう。

そんな危険な海域を無事に通りたければ、相応の対価を支払ってもらおう……それを海域を危険にしている張本人が言っているのですから、自作自演もいいところです。

こういう状態が蔓延すると、国内の交通や流通が滞り、経済がうまく回りません。

そこで秀吉は海賊たちを公権力に組み込むか、武装解除させて安全確保を図ったのでした。

もう一つの目的として、海上インフラの確立が挙げられます。

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