天狗修行の奇行、男色で実子なき権力者!「半将軍」細川政元の巨大政権が56年で崩壊した真相 (1/6ページ)

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天狗修行の奇行、男色で実子なき権力者!「半将軍」細川政元の巨大政権が56年で崩壊した真相

将軍をも凌ぐ権力を誇り「半将軍」と呼ばれた細川政元(ほそかわ まさもと)。しかし奇行や男色による実子不在から3人の養子を迎え、骨肉の後継者争いが勃発します。

外敵ではなく身内の争いと新勢力・三好長慶の台頭によって、56年続いた細川政権が崩壊した真相を解説します。

半将軍と呼ばれて

戦国時代の少し前、京都には将軍以上ともいえる権力を持つ人物がいました。それが細川政元です。

細川政元(Wikipediaより)

細川氏は讃岐、阿波を中心に、河内・和泉、京都まで広い地域を支配していました。さらに物流の要となる港湾都市、堺も押さえていたのです。

政元が権力を大きく伸ばしたきっかけは、一四九三年の明応の政変でした。十代将軍足利義材を追放し、十一代将軍に義澄を立てたことで、幕府の人事権と軍事力を掌握したのです。

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