山谷えり子氏、在特会幹部らと記念写真の舞台裏 (2/3ページ)

東京ブレイキングニュース

それも街宣右翼などではなく、もっと政治活動に深く関わろうとするスタンスを持っており、先にも挙げた私塾の繋がり以外にも、様々な右系の連中と親交がある。

 例えば在特会桜井誠の直接の師匠とも呼べる西村修平などは、かなり長い期間この増木と行動を共にしており、日本全国を街宣行脚していた。西村の側近らは 「いくらなんでもお金が掛かり過ぎる」と何度も指摘していたようだが、西村はその度に「いいよいいよ増木君が出してくれるから」と気にもとめなかったようだ。 ここから組織内部で「M資金」という単語が生まれたらしい。(元内部関係者談)

 この増木は救う会大阪の代表を務めていた時代に、救う会の全国協議会に除名処分を受けている。一時期救う会に様々な右翼団体が入り込み、中には任侠系も多く含まれていたため、あちこちでトラブルが巻き起こっていた。そこで任侠と看做された支部や、活動内容に問題のあった支部がごっそりと除名されたのだが、その中に増木の救う会大阪も含まれていたのだ。ここで増木は除名された恨みからか、全国協議会に対して「あいつらは任侠に支配されている」と暴言を吐いて回るなど、酷い内ゲバを見せていた。ちなみに救う会大阪の除名理由は、金銭の不透明さと、万事においてやり過ぎる姿勢を問題視されたためだ。

 この「やり過ぎる」という部分において、後の在特会らの暴れっぷりを見れば理解が早いだろう。今にして思えば、救う会全国協議会はこれを危険視して先に手を打ったと考えても良いかもしれない。

 増木氏は今回の山谷氏の写真騒ぎを受けて「私が関わっていた当時の在特会はヘイトスピーチや犯罪行為は行っていなかった。差別的な活動をやり始めたので私は距離を置いた」などと言っているのだが、冗談も大概にした方がいい。

 山谷との写真が撮影されたのは2009年なのだが、この前も後も在特会はすでに今と殆ど変わらない活動をしていた。例えば、在留許可を巡って日本で産まれたフィリピン人の女子中学生に対し、わざわざ学校周辺の通学路などを街宣コースに選び、口々に「国に帰れ!」などと騒ぎ立てるといったお約束の活動だ。これは弱い立場の女子中学生個人を標的にしていた、日本男子とは思えぬ卑劣なやり方であった事を付け加えておく。

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