遊女55人虐殺事件の闇・おいらん淵と黒川金山【ニッポン隠れ里奇譚】 (3/3ページ)

東京ブレイキングニュース

例えば、"こっくりさん"も、その頃に日本に流入してきたもので、元はヨーロッパの『テーブル・ターニング』という、一種の降霊術である。その頃においらん淵の伝承も生まれた。

 一番最初のきっかけは、明治の初期に水源調査でこの地を訪ねた役人が『ここはまるで"おいらん"の肌のように美しい淵だなあ』と言ったことから、その名前がついたという("おいらん淵"の呼称の由来には他にも諸説ある)。

 はっきり言えることは、慰霊塔の建つおいらん淵は、本当のおいらん淵ではありえない。なぜなら、黒川金山の鉱山街と麓を結ぶ昔からの旧道は、慰霊塔の建つおいらん淵からかなり離れているからだ。

 しかし、『ゴリョウの滝』は、その旧道のすぐ近くにあり、もし伝説のような遊女皆殺し事件が本当にあったとしたならば、『ゴリョウの滝』付近以外ではありえない。そこから「ゴリョウの滝のあたりが、本当の"おいらん淵"に違いない」と言われるようになったという。

 では、なぜ慰霊塔の建つ『銚子滝』が"おいらん淵"と言われるようになったのだろう。有力な理由の一つは、そこには若干の平地があり、車の駐車スペースがあったからだ。車道に近く、参拝に便利だということなのだろう。『ゴリョウの滝』のあたりは傾斜もきつく、参拝にはあまり向かない。

 さて、ところで遊女たちの集団皆殺し事件は、実際にあったのだろうか? その真偽を探ってみた。

Written Photo by 石川清

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