リアル「ホットロード」の世界はエグイ…平成の暴走族事情

デイリーニュースオンライン

 能年玲奈主演の劇場映画『ホットロード』が公開され、興行収入が20億円を突破するヒットを記録している。家庭環境のよくない14歳の少女(能年)が、友人に誘われて出会ったのが、湘南の暴走族のメンバーである少年だった。死をも恐れず暴走族抗争に身を投じる少年と、そんな少年の身を案じる少女の恋物語が描かれている。

 こちらは、1986年から1987年まで連載された漫画が原作。少女漫画らしからぬリアルな不良少女の心情や暴走族描写が当時は話題となり、多くのファンをつかんだ。では、実際の暴走族はどうだったのか、当時走っていたメンバーに話を聞いてみた。

自宅襲撃も当たり前。刃物は常に携帯し車で跳ね飛ばした

『実録平成暴走烈士』(オールインエンタテインメント)が10月3日に発売された。平成の時代に走っていた暴走族のインタビューと当時の映像によって構成されたドキュメンタリーだ。

 このDVDに出演した伊藤親博氏(39)は、相模スペクターというチームの十七代目総長を務め、現役時代は、映画の主人公と同様、湘南の海岸沿いを走っていた。

相模スペクター一七代目総長の伊藤親博氏

「当時は集会イコール喧嘩でした。湘南を走ると必ず敵対するチームともかち合うんです。自分の場合、サバイバルナイフをブーツのところに差し込み、出刃包丁を口に咥え、更に金属バッドや木刀を携えて走っていましたね」

 メンバー全員、凶器は必ず携帯していたという。伊藤氏が出刃包丁を振り下ろしたところ、それが相手チームのメンバーの耳を削ぎ落してしまったこともあるようだ。

相模スペクターの集合写真。中央で出刃包丁を構えているのが伊藤氏

「メチャクチャな時代でしたよ。休日になると、車で敵対するチームの地元へ行き、敵のメンバーを見つけるや、ノーブレーキで突っ込んで跳ね飛ばしたり。相手幹部の家を突き止め、自宅を襲撃するのも頻繁にやりました。相手も相手で、ダンプカーを持ちだしてきて突っ込んできたし。火炎瓶を投げる等はざらでしたね」

 もはや少年同士の喧嘩ではなく、戦争である。今回の暴走族ドキュメンタリーの監督を務めた吉野量哉氏(松戸スペクター十六代目総長)は、暴走族事情を語る。

「『ホットロード』は、僕もツレが読んでいたので読みました。リアルに当時の少年や少女の心情を描いた名作だと思います。ただ、あれが描かれたのは1986年。伊藤君は、その5年後ぐらいの平成以降に走っていたんです。その頃には、暴走族は更に漫画の時代よりも過激になっていて、刺す、刺されるという抗争は常態化していました。警察の取り締まりも厳しくなっていましたし。暴走族の集会も、能年のような女の子が、バイクのケツに乗って走れるような時代じゃなくなっていましたよ」

『ホットロード』の映画で感動した人はぜひ、暴走族のもう一面の笑えないドキュメンタリー『実録平成暴走烈士』の方もご覧いただきたい。

(文/井川楊枝)

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