はるしにゃんの幾原邦彦論 Vol.1 少女的理想と現実の狭間にゃん

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はるしにゃんの幾原邦彦論 Vol.1 少女的理想と現実の狭間にゃん

「革命」前夜──幾原邦彦がいかにメンヘラを描いてきたか
幾原邦彦」という「作家」について語ること。それはとても困難な行為だ。それを的確に論じることの難しさは、いわば「革命」を起こすことの困難と似ている。

今回“はるしにゃん”こと私に原稿の依頼が来たのは、そうした困難に、私個人の実存的な共鳴もありながら、また同時にブログや主宰同人誌などでの論述の能力をどうやら買われたようで、編集者による「世界の果て」からのメールをいただいた、といった次第だ。



私は「メンヘラ」と呼称されるあるいは自称する人々について詳しい、あるいはメンヘラカルチャー評論家として認知されているようだが、この連載ではそうした「メンヘラリティ」の視座から幾原について論じることもあるだろう。

テーゼを一つ提出しておこう。人は誰しも少なからずメンヘラである。精神分析学的には、ジャック・ラカン曰く、主体は「神経症/精神病/倒錯」のいずれかである。また彼の発達段階論によれば人間の自我は常に幾分か「パラノイアック」であり、常に「心的現実」という「幻想」を生きている。それゆえあらゆる作品においてそこにメンヘラリティなるものを見出すことができる。例えば、「少女」なる表象がすでに男性主体側の欲望による幻想そのものではないか。それゆえ、多かれ少なかれ、幻想を抱く存在としてのメンヘラを、幾原作品を通して概観するこの原稿は、いわば「幻想の横断」を目指していると言って良い。

幾原邦彦という作家──少女の現実と理想

幾原邦彦は、「エヴァンゲリオン」シリーズの監督・庵野秀明や『機動戦艦ナデシコ』監督の佐藤竜雄らと並んで90年代の日本を代表するアニメーション監督である。代表作としては後述の『美少女戦士セーラームーンR』(1993-94年)『少女革命ウテナ』(1997年)『輪るピングドラム』(2011年)が挙げられるだろう。

彼の作品はどれも、ファンタスティックかつシュールな雰囲気のなかで、少女向け変身ヒロインものや学園もの、女性同士の友愛を描く百合系といったジャンルを横断しながら、多くの観客をうならせる哲学的なテーマを扱っている。そこにおいて重要となるのが〈運命〉である。『セーラームーンR』におけるタキシード仮面のセリフには「前世からの運命による恋愛なんて僕は認めない」という趣旨のものがあった。すなわち少女の理想を、一方では「幻想」的に、他方で「現実」的に扱っているとも言えよう。

また、近年の潮流として「百合」のような「ホモソーシャルな関係性」がトレンドとなっているが、その百合を現代における「システムへの抵抗」の契機として表現した『魔法少女まどか☆マギカ』の監督・新房昭之は、表現面でも、また当作においてはテーマ性についても幾原監督の影響を強く受けている。

幾原の強みは「テーマ性」と「映像表現」、そして「演出」である。そうした技巧派な彼の、しかしその真髄はそこにおいて繰り広げられる「ヒューマンドラマ」でもある。

2015年現在、彼の最新作である『ユリ熊嵐』が放送中であり、話題を集めている。この作品を読み解くには、彼の象徴主義的な隠喩として、「百合」「熊」「嵐」が、そしてそのあいだの「断絶の壁」が何を指し表しているのかを精緻に分析する作業が、シナリオ面でも映像表現面でも要されるだろう。

アニメーション監督としては、『ベルサイユのばら』などを手がけた出崎統や『機動警察パトレイバー』監督の押井守らに影響を受け、セル画の枚数・作画の力に頼らないで面白いものをつくるという信条を元に、ユニークな止め絵とトリッキーなバンクそしてギャグ演出などを得意とする。



おおよそ一般的な意味合いにおけるリアリティよりも抽象的な描写を好み、シリアスな出来事にも心理的なアプローチを行おうとする志向性ゆえに、ハッタリを効かせたり、メタファーやメタフィクションをよく用いる傾向にある。言い換えれば彼は象徴表現を好む作家でもあると言えよう。おそらくそれは作中の「ピングドラム」「運命日記」といった象徴的な固有名などにも表れている。また演劇にも造詣が深く、日本を代表する劇作家のひとりである寺山修司の劇団「天井桟敷」に傾倒していたことから、同劇団の音楽担当であるJ・A・シーザーを自作『少女革命ウテナ』にも起用している。



幾原邦彦というクリエイターの道のり

幾原は1985年に京都芸術短期大学を卒業し、翌年には東映動画(現在の東映アニメーション)に入社。まず『メイプルタウン物語』の制作進行・演出助手のひとりとして参加すると、のちに初代『美少女戦士セーラームーン』などのシリーズディレクターをつとめる佐藤順一のもとで様々なアニメ制作に携わり、1990年には『もーれつア太郎』第18話「王子と玉子どちらがえらいのココロ!?」で演出デビューを果たした。

以降、『美少女戦士セーラームーンR』のシリーズディレクターなどをつとめ、1993年には初の劇場用作品『劇場版美少女戦士セーラームーンR』を手がけることになる。1996年には東映動画を退社、『少女革命ウテナ』の企画・制作を行なうためのクリエイター集団・ビーパパスを主宰・結成し、その版権管理にあたって個人事務所・イクニを設立した。翌年に自ら監督した本作は、アニメーション神戸97´の作品賞・テレビ部門を受賞し、また幾原自身は最高賞であるところの神戸賞を受賞した。

だが『少女革命ウテナ』の制作以後は、しばらくアニメ以外の活動が目立つようになり、もっぱら小説・漫画原作などを執筆するかたわら、講演や学校で教鞭を執るといった機会が増えていく。たとえば2006年には小説『ノケモノと花嫁』を企画・制作するためにクリエーターズ・モイを主宰・結成し、ファッション誌『KERA』に連載している。本作はキャラクターのファッションを、獄本野ばら『下妻物語』の衣装協力を手がけたロリータブランド「BABY,THE STARS SHINE BRIGHT」とコラボレートしたことでも知られている。

近年は、再びアニメの世界で幾原の名前を見る機会も増えてきている。2007年からは『のだめカンタービレ』のOP映像の演出を皮切りに、いくつかの作品の絵コンテやOP演出にも参加している。さらに2011年に『少女革命ウテナ』劇場版以来12年ぶりとなる監督作品『輪るピングドラム』を発表し、2015年に『ユリ熊嵐』を監督していることは先に述べたとおりである。

数々の一流クリエイターに影響を与えたその作品と人となり

幾原から影響を受けたアニメ監督は『おおかみこどもの雨と雪』の細田守や『桜蘭高校ホスト部』の五十嵐卓哉、『蟲師』の長濱博史など数多く、さらには脚本家の榎戸洋司や大河内一楼など幾原自身によってその才能を見出された者も少なくない。庵野秀明も幾原にほれ込んだ人間のひとりであり、彼は『新世紀エヴァンゲリオン』以降、幾原の助言から演劇的要素を取り入れるようになったと言われている。

また幾原自身は奇抜なヘアスタイルやファッションで戦略的なメディア露出を行ない、アニメ界のビジュアル系と形容されている。そのキャラクターの強さは様々なフィクションのモデルにされたこともあるほどだ。一説によれば『新世紀エヴァンゲリオン』の渚カヲルは幾原がモデルだとされている。



作品同様、幾原自身もまた、その作風や略歴が示唆するように一筋縄ではいかない人物であるようだ。最初に志したグラフィックデザイナーへの道は競争社会の恐ろしさによって断念し、実写映画監督への道はキャリアの厳しさによって断念し、つまりどちらにせよ苦しいのは嫌だということで軽やかに逃走し、楽そうだからという動機でアニメ業界に足を踏み入れたと語っている。少年時代のエピソードにしても、異性にモテるタイプだがプラモや絵に熱中していたり、運動部に所属したが暗い性格であったりと、とにかく掴みどころがない。自分を「褒められて伸びるタイプ」と語るところなどいかにも飄々としている。

この連載は、幾原邦彦作品の批評ではある。しかし他方で、批評というものにおよそ興味がないという人にも、彼の作家性を理解してもらうことにより、現在放映中の最新作『ユリ熊嵐』をさらに楽しめるような内容にするつもりだ。おそらくそれは『美少女士セーラームーンR』『少女革命ウテナ』『輪るピングドラム』など、過去作のテーマやスタイルを概観し、彼の人間観や世界観に肉迫していく作業となるに違いない。そのとき、我々は幾原の問題意識が我々の生活と決して無縁ではありえないこと、またそれゆえにこそ我々が幾原作品に惹きつけられているのだということを知ることになるだろう。

この連載は、私たちがそれを確認していく作業だ。そしてそこにおいて私たちは「運命」や「永遠」について再度直視し、そして「革命」のなんたるかを知る。以降、幾原自身が企画・監督をつとめた『少女革命ウテナ』『輪るピングドラム』、それに『ユリ熊嵐』を個別に論じることで、幾原邦彦という作家に迫っていきたい。まず次回は『少女革命ウテナ』である。にゃん。

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