あの日の白いモビルスーツ 1977年からのオタク回想録その1 (2/4ページ)

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1977 「オタク」という名前がつくずっと前、「サブカルチャー」全盛の年小学生の頃から、全国各地に山ほどいる子供のように、漠然と「漫画家になりたい」とは思っていたんです。愛読書は といえば、もちろん藤子不二雄先生の『まんが道』(当時はハードカバーで全1巻のみ発売)。

おかげで、当時でもすでに「旧い漫画」の仲間入りをしつつあった手塚治虫先生や、石森章太郎先生の作品を、サンコミックスや、サンデーコミックスでほじくりかえしては購入(もちろん当時は立ち読みもがんがんしました)してむさぼるように読んでいたのです。友人を引き込んで「二人で漫画を描く」という行為も、もちろん、『まんが道』の影響モロでしたね。

3月6日「惑星ロボ ダンガードA」放送開始。宇宙戦艦ヤマトブーム直前、東映動画は松本零士をイメージクリエイターとして起用。今更ながらに先見の明に驚くとはいえ、中学になれば、それなりにトーンダウンしてくるわけですよ。今でも覚えているのは、友人との会話です。「もう、テレビのまんが(当時、アニメという言葉はなかった)も観なくなったなー」「バラタックは面白いよね」「ああ、あれは面白い。あれくらいだな、今観てるまんがは」…。

プラモデルの趣味は継続していましたが、キャラクターモデルは卒業して、もっぱらスケールモデルに趣旨変えしていた頃です。運動部にも入って放課後は練習漬け。友達との会話はアイドルとか、ニューミュージックのことがメインになります。そうなると、漫画に割く時間も徐々に減ってきてしまい、それまで大学ノートに書いていた自作の漫画もやめてしまいました。

そんな中、友達との話題とは別に興味を持ったのは、本屋さんで出会ったカルチャー誌でした。サブカルネタで、田舎者のオレを翻弄していた『ビックリハウス』が筆頭です。サブカル系知識人によるコラムや記事に加えて、目玉だったのは糸井重里が主宰する読者投稿コーナーでした。その面白さは、中学生から見れば、大人っぽく、洒落ていて、ずいぶん知的に思えました。

同じく読者投稿に独特の匂い(現在でいえばオタク的な)があったのが『月刊OUT』です。
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