あの日の白いモビルスーツ 1977年からのオタク回想録その1 (3/4ページ)
のちにアニメ雑誌になりますが、オレが出会った当時は、漫画も、音楽も、テレビ番組も、映画も、一緒くたになってたサブカル雑誌でした。
糸井重里と『月刊OUT』が並べて語られるというのは、不思議な感じがするかもしれませんが、当時は、本屋さんの同じコーナーに並べられていたんです。本当ですよ!!
そして、そこで知ったのが「『宇宙戦艦ヤマト』という、ちょっと前に再放送(1976年夕方から再放送されていた)していた『テレビまんが』が、放送を終わった今も多くの若者の間で再評価されていて、どうやら映画として劇場公開されるらしい」という話でした。これ、周囲の友人から聞くことのない、最新情報だと思いました。
月刊OUTが最初に宇宙戦艦ヤマト特集を組んだのは6月号だったが、まだ全国流通前の雑誌だった。実際に手にとったのは、9月号がはじめてだったそんな、読者投稿のコーナーを読むにつれ「世の中には面白いことを考える人」「知的な人」が、いることを知るんです。バスケ部でシュートの練習をしたところで、それは学校内、部活動内の地位向上にしか繋がらないじゃないですか。それなのに、雑誌は「自分が知らない世間の動き、価値観があって、それを学べる。なんといっても、バスケの練習と違って面白い!」もので、運動部の先輩たちからは聞けない「文化的な」匂いに、ガツンとやられてしまうわけですね。「知的でかっこいい!」と。
放課後にはバスケ部の練習をして、休日には友人宅でレコードの新譜を聴いて、というのが当たり前の日常でしたが、内心では、だんだんそんな「田舎の高校生らしい日常」がつまらなく感じるようになってしまったんです。
そんな気持ちがさらに加速するきっかけになったのは、『宇宙戦艦ヤマト』ブームの到来でした。月刊OUTで知った情報が、あっという間に現実に侵食してきたのです。ヤマトって存在は知っているけど、そこまで熱心に見ていたわけではなかったんです。
公開に先駆けて、サウンドトラックのLP発売。オリジナル音声から編集したドラマの名場面集。ビデオが一般的でなかった時代、ファンにとって数少ないイメージソースだった。もちろん、雑誌情報にノせられて、隣駅の劇場まで観に行きました。