【壮絶すぎる人生】荻原流行&まゆ美夫妻の共著『Wうつ』読了|ほぼ週刊吉田豪 (2/3ページ)
(略)だが、生活はめちゃくちゃだった。仕事が終わると芸者さんを何人も引き連れて箱根へくり出し、そこから母に電話して『おい、坊主も連れてタクシーで箱根まで来い。金は着いたら俺が払ってやるから』。こんな日があったかと思うと、ポーカーで負けて母を住まわせていた家を失い、母と兄はどこかに間借りしたり、そしてまた家を買ってもらったりと、まるでジェットコースターのような暮らしを強いられていた。だが、僕が生まれてから、暮らしむきはずっと下降線だった。(略)僕が父と初めて会ったのは、小学校に入る少し前だったと思う。そのときのことは、今でもはっきり覚えている。生まれて初めて"父親"を認識したその日、その男は母に暴力をふるっていた。その次も、そのまた次のときも、父は家に来ると母親を殴っていた」
なるほど、これは生い立ちを封印するのも当然だなあ......と思ったら、話はその程度では終わらなかった。
「僕が高校に進学してからも、親父の家庭内暴力は止まらなかった。高校2年生の6月だったと思う。土曜日の半日授業を終えて家に戻ると、そこら中に物が飛び散っていた。なにごとかと思って奥へ行くと、お袋と兄貴が顔を血だらけにして放心している。その横に立っていた親父と目が合った。チクショー、お前がやったんだな! もう許せねえ! ぐわっと頭に血がのぼった瞬間、親父をボコボコにしていた。腕力なら、もう僕のほうが勝っていた。おやじの前歯を全部折ったが、それでも僕の気持ちは収まらない。とっさに台所へ行き、出刃包丁を取り上げた。殺してやる! 親父に向かって進み、刺そうとしたところで、お袋と兄貴にすがりつかれた」
つまり、比喩表現じゃない「父殺し」をする寸前だった......!
「ふと我に返ると、強烈な自己嫌悪に襲われた。カッとなると、見境なく暴力に訴えてしまう。これじゃあ、親父とそっくりじゃないか。僕には間違いなく、親父と同じ呪われた血が流れているんだ......。もういやだ、なにもかも終わりにしたい! 僕は財布だけ持って、家を出た。もう死ぬしかない。そうだ、海に入って死のう。向かったのは鎌倉だった」
これが彼にとって最初の自殺未遂であり、まゆ美夫人と同棲することになるきっかけも、この家庭環境が影響していた模様。