【歴史】西遊記の三蔵法師の弟子の弟子が日本で活躍していた事が判明! (2/3ページ)
・東大寺の功績で日本初「大僧正」の地位に
まあそれはともかく、そんな奇妙な縁によって行基は東大寺と大きく関わることになります。というか、行基の勧進のおかげで東大寺が建ったといっても過言ではありません。なぜなら、その功績を称えて彼に日本初の「大僧正」という位が贈られているからです。
これは仏教で一番エライ人のことですから、かつては良からぬヤツと思われていた行基をそこまで特別扱いせざるをえないほど、勧進の効果がデカかったということになりますよね。大分語弊がありますが、インパクト的に現代で例えるとしたら「オリンピックの金メダリストとノーベル賞と紫綬褒章を一人で全部取った日本人」くらいの感じじゃないですかね。言い過ぎか。
しかしその時点で既に高齢といっていい歳になっていたため、行基は大仏の落成を見ることなく世を去りました。享年81歳と言われていますから、当時としては驚異的な長寿といっていいでしょう。
僧侶ということは贅沢な食事をしていたわけでもないでしょうし、なぜそんなに長く生きられたのかちょっと不思議になりませんか? その裏付けになりそうなのが、行基の健脚振りです。
・宮城県の温泉を行基が見つけました!
さすがに松尾芭蕉ほどではありませんが、行基も主に近畿地方をくまなく歩き回っていたといわれています。そのためあっちこっちに「このお寺は行基が作りました」とか「この橋は行基が工事の指揮を取って作られました」とか「この港は行基が~」なんて話があるのです。万能すぎやろ。
また、彼は温泉の開祖としても良く知られています。兵庫県の有馬温泉にお寺を作ったといわれている他、全国各地に「行基が見つけました!」とされる温泉があるのです(複数ある発見者候補の一人とされていることが多いのですが)。
ただし、近畿周辺はともかく、作並温泉(宮城県)はちょっとどうなんでしょうか。どこでもドアでも持ってたんかい……。いいところですけどね、作並温泉。これまた例によって裏側を想像するとすれば、おそらく行基の説法か何かを聞いた人、あるいはその子孫が温泉のある場所に移り住み、いつの間にか話が結びついたとかそんな感じでしょうね。