【歴史】西遊記の三蔵法師の弟子の弟子が日本で活躍していた事が判明! (1/3ページ)
天平二十一年(749年)2月2日、日本における高僧の一人・行基(ぎょうき)が亡くなりました。あっちこっちに逸話のある人なので、どこかで聞き覚えのある方も多いのではないでしょうか。
実はお師匠様からしてただ者ではなく、あの玄奘三蔵法師の直弟子・道昭(どうじょう)だったりします。つまり行基は「三蔵法師の孫弟子」と呼べるわけです。
・あの生臭坊主は危ないヤツかも!!
そのためか、発想もどこか似ている節があります。三蔵法師の西域(インド)への旅は、当時の政府に無許可で行ったものでした。行基もまた、当時の日本では禁じられていた「民衆への布教」を行っているのです。度胸あるな。
しかも「あの生臭坊主、民を扇動して良からぬことを企んでますよ!」とお上に吹き込んだ輩がいたらしく、行基は当局にしょっぴかれてしまいました。しかし、取調べの結果「ただのいい人じゃん。誰だよアヤシイとか言ったの(´・ω・`)」となり、行基はお咎めなしで再び仏の道を歩むことができるようになったのです。えがったえがった。
・東大寺の勧進を任され聖武天皇に接見も
お上もそれで引け目ができたのかなんなのか、この後一つ大きな仕事を任されました。東大寺の建立です。といってもさすがに行基に対してお寺を建てろと言った訳ではなくて、勧進(寺社の建築などのために説法したり寄付を募ること)を任されたのです。
なんと、聖武天皇自ら行基と語らう場を作ってのことだったそうです。歴代の天皇の中でも信心深いイメージがありますけども、有徳の僧とはいえ一介の聖職者に対してここまでした方って、世界史を含めてもそうそういないんじゃないでしょうか。
「既に民衆から人気のあった行基を利用した」とも言われていますが、それにしたってテキトーな人には任せないでしょうから、それなりに信頼はあったんじゃないでしょうか。
というかそんな邪心100%な理由で僧侶をこき使ってたら、それこそ仏罰が当たりそうですし。