【マジかよ】前田慶次は2人いた可能性あり! かぶきものは二代目のほう(笑) (2/3ページ)

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・証明できる資料
どうも初代の慶次は文化面に秀でた「ひょうげもの」な文化人で、2代目慶次が体力武力ともにあった「かぶきもの」な武将であった可能性がありそうだ。ただし、そもそも慶次の存在を一次資料で証明できるのは、外川さんの調べでは以下の3点しかない。

1. 天正13年(1585)8月17日に前田利家が能登半島の七尾城を守る関係者にあてた書状に「慶二」とあること。
2. 慶長3年頃(1598)に上杉家に1000石で士官した。
3. 慶長6年(1601年)に京都の伏見から米沢までの旅した。

しかも、3点目は有名な『前田慶次郎道中日記』の記録に基づいているのだが、実のところ日記の筆者は自分の名を「前田慶次郎」ではなく「啓二郎」としか書いておらず、前田姓かどうかもはっきりしない。

・前田慶次郎道中日記は本物!?
この日記自体は本物だが、発見されたのは昭和になってからで、骨董商が米沢出身の歴史家に売ったことで世に出たという、ちょっと怪しい来歴なのだ。骨董商がすでに有名だった慶次郎の名を利用して、米沢出身者の触手が動くように、日記を入れる箱に『前田慶次郎道中日記』と書いたのではないかという疑問が残るのである。

・俺が二人? だがそれがいい
ぶっちゃけ、どんな人物だか皆目わからない。こまかい詮索はしてもきりがないということで、開き直ってかぶきもので破天荒な英雄としてフィクションを楽しむのが吉と言えるだろう。前田慶次なら「俺が二人? だがそれがいい」と言ってくれるに違いない。

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