【マジかよ】前田慶次は2人いた可能性あり! かぶきものは二代目のほう(笑) (1/3ページ)

バズプラス

【マジかよ】前田慶次は2人いた可能性あり! かぶきものは二代目のほう(笑)

原哲夫のマンガ『花の慶次』(原作 一夢庵風流記)で、かぶきものの前田慶次に惚れ込んだ人は多数いるだろう。一方で、大河ドラマ『利家とまつ』でミッチー(及川光博)が演じたオネェな慶次を好きな人も……、いるかもしれない。

・魅力的な戦国武将
本来は前田家をつぐはずなのに加賀藩祖利家が父を追いやったために大名にはなれなかった、もしくはあえてならなかった悲運ながら、それを気にせずひょうひょうと生きた魅力的な戦国武将であることは間違いない。

・前田慶次は2人いた可能性あり!!
ただ「歴史的にその実像は?」というと、利家を冷水風呂に入れたことなどは後世に作られた逸話である可能性が指摘されている。ところが、こうした破天荒な生き様でのおもしろさではなく、そもそも「慶次は2人いた」という興味深い説がある。初代の前田慶次と2代目の前田慶次がいたというのだ。

・上杉軍で大活躍したのは68歳のとき
歴史研究者の外川淳さんが『新説 前田慶次』(新人物往来社)で提示している。比類なき武将として知られるのは、東北での関ヶ原合戦と呼ばれる「長谷堂合戦」での上杉軍に属しての大活躍だが、このときの慶次は68歳となる。だが、若い2代目慶次だったらありうる。

・2世代と考えれば不思議ではない
さらに慶次が死んだ場所は、上杉家の米沢(山形県)と大和(奈良県)の二つの説があるのだが、これも2人いるとすれば謎ではなくなる。信長軍の有能な部下であった滝川一益の弟説とおいっ子説(滝川家から前田家に養子に出された)の2つもあるが、これもまた2世代と考えれば不思議ではない。

・意外にも多い同様の例
こうした例は特殊でなく、伊達政宗の有能な部下である片倉小十郎も、政宗の兄貴役でもあった景綱と、大坂の陣で活躍した息子の重長がいずれも小十郎を名乗っている。鉄砲の達人の雑賀孫一(さいかまごいち)の例もある。信長と敵対した孫一と、関ヶ原のときに伏見城攻防戦で西軍として活躍した孫一は、別人物であることが分かっている。

「【マジかよ】前田慶次は2人いた可能性あり! かぶきものは二代目のほう(笑)」のページです。デイリーニュースオンラインは、花の慶次かぶきもの武将ジャパン日本史前田慶次カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る

人気キーワード一覧