【ジャパメタ対談】44マグナムのポール×アースシェイカーのマーシー「俺たちのファンの歓声は重低音だった」

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【ジャパメタ対談】44マグナムのポール×アースシェイカーのマーシー「俺たちのファンの歓声は重低音だった」

 1980年代、日本を空前の「ジャパメタ」ブームが席巻していた。時は流れて三十余年、今でもステージに立ち続け、シャウトしている男たちがいる。日本のハードロック/へヴィメタルシーンを常に牽引してきた二人の偉大なヴォーカリスト、44MAGNUMのPAULとEARTHSHAKERのMARCYを迎えて過去と現在、そしてこれからの未来を語ってもらった。

●元祖金髪ロックミュージシャン

――1980年代は、髪を金髪にして街歩くのも相当勇気が必要な時代でしたね。

PAUL(以下P) 道歩いている金髪の人をつかまえて、『オマエ 俺のおかげで金髪にできるんだぞ』と言ってあげたいよ。別に金髪だからということではなかったけど、高校の先生に殴られたりね。片側だけ髪をブリーチして学校に行ったら、先生に体育館の陰に連れて行かれて、『反対側もブリーチしてやるよ』と頭を殴られて、『明日黒くなかったらわかっているんだろうな』と。お前らヤクザかって(笑い)。

――そもそも髪を金髪や緑に染める薬品が、当時の日本には普及していなかった。

P 金髪にする手段が大変でね。ブリーチ剤を外国に旅行した時に買って来たりして。当時のブリーチは強くて髪がゴムみたいになっちゃうし、頭皮がおかしくなっちゃうし。

MARCY(以下M) めちゃくちゃ痛かったよね。今みたいに良いものじゃなかったから。僕もEARTHSHAKERに入る前は超金髪だった。でも、僕は金髪のイメージとは違うなと思って、すぐに髪を黒くした。当時はイギリスのバンドJAPANとか、髪の毛の色も色々なのがあって、むちゃくちゃやりたい時代だったからね。

P 44MAGNUMの初期は髪の一部を赤くしていた。でも、髪の毛は大事にしないと。

M 20年後、30年後を考えるとね(笑い)。

P 俺はパーキンソン病を患ってから薬を飲んでいるので、髪の抜け方がすごいんだ。一回風呂あがって、山盛りに髪が抜けていたのでびっくりしたことがある。俺は『隣の人と比べられない人でいなさい』と個性を大事にしてきたけど、ファンが宗教の信者みたいに金髪の子が増えてきて、次第に金髪にできない子たちがライブハウスに入れなくなってしまった。そういうのは残念だよね。いいよ。真似しなくて。会社の帰りにネクタイ振り回してライブ参戦でも良いじゃない? 同じファン同士で対立してもしょうがない。人と同じでないといけないというは日本独特の問題だよね。

M EARTHSHAKERはそこまでファッションを重視するバンドではなかったから、そういう問題はなかった。でも、あの時代は事務所やイベンターさんが厳しかったね。他のアーティストやファンと接触させないようにしていたから。

P 周りに女チラつかせるなとか(笑い)。とくに44MAGNUMのマネージメントは厳しかったからさ。あまりに女性関係に厳しいから、『マグナムってホモらしいよ』と言われたこともあった。怪我するからってスキーも禁止だった。でも、アイススケートに行ったけどね。

――当時と今では、歌詞の世界観もずいぶんと変わってきたように思います。80年代の楽曲だと一人称は「オレ」で二人称は「お前」でしたが、最近はかなり丁寧で優しくなっている。これも時代の流れでしょうか。

M 一般的に売れている子は「良い子」じゃないと、世の中に出れないんじゃないのかな。

P 俺たちは英語でMCする時はかなり汚い言葉を使ってるけどね。Fの字ばっかりで(笑い)。

――生まれた時からカラオケが普及している最近の世代と、80年代のアーティストとは音楽環境もかなり違うように思います。

M 歌い慣れているから上手い人はいっぱいいる。

P でも声量がないんだよ。伴奏だけでは歌えない。ガイドラインがないと歌えないとか。

M 声量に関しては僕たち特別だよ(笑い)。全体的にジャパメタ世代の人の声量はでかいね。そもそもバンドの音がでかいから。本当にモニターが悪くて、大きな声を出さないと自分の声が聴こえなかったから、自然と声量が大きくなった。バハマ(大阪のライブハウス)なんて自分の声何も聴こえなかったもんな。マーシャル(ギターアンプ)にしたってさ、歪ませようと思ったらすごい音量のわけよ。100ワットとか。今はマスターボリュームとか色々あるから。当時はああいうのがなかったからあげればいくらでもデカい音になった。

P 声潰れて、ツアー出ると血痰。酒飲みながら濁声に憧れてアル中になるか、濁声になるか、どちらが先か……というヤバい状況の時もあった。ただ、酒を飲んでいても声が出なくなるとか、リズム狂うというのはなかったけど。

M それはスゴイね、酔って歌えるというのは。

P 全然酔っぱらわない。アルコール分解酵素が強いのかな(笑い)。

M 僕は飲んだら歌えない。ただの酔っ払い。飲み屋のただのダメなやつになる。ステージでは飲めないな。

P ただ、イメージ的にジャックダニエルが好きだと思われていたけど、実際には飲んでいなかったよ(笑い)。スコッチ、シーバス派。

M 44MAGNUMとスコッチは似合わないよね(笑い)。

P 俺は意外と中身はアキバ系のオタクなので、ガッと自分の世界に入ったら、主人公になりきって、そこから抜け出せない。だから自分で経験していないことでも、リアルに歌えるんだ。「オマエ、バカじゃないの?」と思われるような歌詞じゃないと、PAULじゃないという世界観を作っていた。昔はネタ帳を持って歌詞を作っていたよ。でも、「ブラックアルバム」を出した時にそういうのは全部やめた。すごく大変だったね。自分で書いた歌詞なのにPAULらしくないとか叩かれたり。

M 葛藤があったわけだね。僕の場合は100%実体験で歌詞を書いている。詩人ではないから何かを妄想したり、イメージしたりしたものを書くことはできないね。実体験しか歌にならない。

P 俺は実体験と創作と両方だった。でも、マイケル・ジャクソンが亡くなった時に、マイケルに手紙を書くように悩みながら書くようになったんだよ。

●脈々と受け継がれるヴォーカリストのDNA

――2005年にPAULさんはパーキンソン病になり、2009年から44MAGNUMに長男スティービーが加入してツインボーカルとなりましたね。

P 44MAGNUMにスティービーが入ってから若いファン層が広がったね。彼には10代から30代くらいのファンが付いている。

M どんな経緯で息子が歌うようになったの?

P 俺がパーキンソン病で歌えなくなる時からだけど、前からバンドはやっていたみたい。

M スゴイね。どう教育したの?

P いちばん最初に聴いたのは、Boyz Ⅱ Menで、観に行ったライブは渋谷公会堂の44MAGNUM。俺が知らないうちに息子がバンドやっているという話を聞いて何をやっているんだと聞いたら、その時、スティービーはVelvet Revolverと答えたっけ。小さい時からスティービーは『お父さんと同じ職業に就きたい』と言ってたんだよね。

M 偉いなー!

P でも、お父さんはボーカリストではなく、プロゴルファーだと思っていたみたい。いつもゴルフばっかり行っていたから(笑い)。

M うちの男の子は残念ながら音楽に興味を示さないんだよ。だから息子が歌うって良いなぁ。いいことだよ。次の世代につながっていて。うちのもたまにはライブを観に来るんだけど、なかなか興味が音楽の方にはいかないね。

P 最近、『あそこをこう歌った方がいいよ』とかスティービーによく言われるようになったよ(笑い)。うちは息子三人とも音楽が好きだけど、次男はプロ志向ではないね。人前で歌うよりカラオケで十分と言う感じ。バンドはやっていない。三男は19歳なんだけど、Youtubeに音源をあげたりして、「ウォー」ってデス声で頑張っている。スティービーが三男のライブを観に行ったら『客のノセ方とか、こいつの方が俺より上手いや』ってびっくりしていたよ。

M 次の世代だね。素晴らしい。

P 親子でデス声演るか(笑い)。

M PAULが息子に合わせて、デス声で歌う必要はないでしょ(笑い)。隣で普通に歌っていれば良いじゃない。

P デス声と言えば、UNITEDがトリビュートした『IT’S TOO BAD』(※44MAGNUMの楽曲)も好きだよ。原曲と違うとかっていう厳しい意見も多かったけど、俺は大好き。亡くなったUNITEDの横山の店に飲みに行っても、その話になっていたから。

M やっぱりトリビュートは自分のバンドのスタイルでやるのがいちばん良いよね。

P MARCYが歌ってくれた『SATISFACTION』(※44MAGNUMの代表曲)もめちゃくちゃ爽やかで、EARTHSHAKERの曲になっていたね。

M それでいいと思う。影響を受けて自分たちのサイズで表現しますっていうのがね。80年代の頃と今ではファンの雰囲気もちょっと違うよね。今は声援にしても「キャー」って感じだけど、当時はもっと重低音で「ウォーッ」というのが多かったかな。男に人気あったから、ライブの観客も半分は男性でね。男のファンの子はずっと好きでいてくれるよね。根強いというか。その頃のファンだった子たちがデビューしたり、今のセッションイベントのマーケットにもつながっているし。

●これからの二人、目指すべき姿

P 80年代のハードロック・へヴィメタルブームという時代の流れの中で、俺たちは「ジャパメタアーティスト」と言われたけど、もともとはハードロックやパンクの影響を受けて、好きにバンドを演っていただけ。昭和歌謡も野口五郎も好きだった。

M 僕は沢田研二さんにも影響も受けて、メロディアスな歌とハードロックの融合をやってきた。でも最近は、アーティストがジャンル分けされ過ぎて、気の毒な気もする。いいミュージシャン、いいバンドはたくさんいる。でも世の中に出て来れない環境があるからね。だから僕は若い世代をピックアップして、いいものを作り上げていきたい。伝えていきたいというのがあるのね。DMMさんも素晴らしいインフラをお持ちでいらっしゃるから、音楽事業を一つのチャンネルにしてはいかがでしょう(笑い)。

P 最近の若い人は話し合いをしないみたいだね。性格的なのか酒を飲まないせいか分からないけど、皆で集まって話し合うというのがないらしいんですよ。バンドの中でも。今は打ち上げもないから伝えたいことも伝えられない。

M 『XYZ→A』(※八王子でファンキー末吉氏が経営するライブ居酒屋)は良いね。

P 『XYZ→A』って飲みながら公開リハーサルも見れるから、ファンもびっくりするみたい。リハーサルってこうやってやるんだって。MARCYはアコースティックライブで 全国を一人でまわっているんでしょ?

M うん。まわっている。メインはアコースティックで、バンドができる環境のところでは 地元のミュージシャンたちと一緒にセッションをしたりね。ファンには感謝しているから、ファンクラブ限定で公開リハーサルや楽屋ご招待とかも。いろんなところに行けるから楽しいよね。

P 俺もベースでセッションしたい! パーキンソン病のリハビリでベースを始めてから面白くてね(笑い)。ハロウィンでKISSメイクしたり、ゾンビメイクもしたいなぁ。MARCY&SHARAも面白いね。

M EARTHSHAKERでもツアーあるし、レコーディングもやっている。EARTHSHAKERの曲をコードも全部変えて、デジタルでコアなロックにして。まだまだ僕らも進化している。

P 今年はPAUL POSITION(※個人ユニット)でもツアー演りたいな。そして、セカンドバンドで共演したいね。MARCYバンド、にいちゃん(※LOUDNESSのヴォーカル二井原実)とも演りたいな。

M やりたいことがどんどん増えてきちゃうな。

P まだまだ俺たちが元気なところをファンには見せていきたいよね。

プロフィール


44MAGNUM

梅原達也(PAUL)

ジャパニーズへヴィメタル、ヴィジュアル系の先駆け的な存在の44マグナム(http://www.44magnum2001.com/)のヴォーカルとして1983年にデビュー。金髪、派手なメイク、SM的なファッションで人気に。X-JAPANやD’ERLANGER等、影響を受けたアーティストは多い。http://paulposition.wix.com/paulposition

プロフィール


EARTHSHAKER

西田昌史(MARCY)

メロディアスな楽曲が特徴のアースシェーカー(http://earthshaker.jp/)のヴォーカルとして1983年デビュー。その後アン・ルイス、犬神サーカス団への楽曲提供。T-BOLAN『離したくはない』、FEEL SO BADの音楽プロデューサーとしても活躍。アースシェイカーの新譜も好評発売中。全国ソロツアー情報はこちらhttp://ameblo.jp/marcy-official/

(撮影:木村学 構成:野島茂朗 http://nojimashigeaki.com

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