「幸せになる」ということは必ずしも良いことではないという考え方(ニュージーランド研究)

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「幸せになる」ということは必ずしも良いことではないという考え方(ニュージーランド研究)
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「わたしは心が欲しいです。脳みそでは幸せになれません。この世でいちばん大事なのは幸せなんですから」

”オズの魔法使い” でブリキの木こりはそう言った。

 この世には無数の「幸せ」という観念がある。それは、人間本来の欲望というよりも、文化によって形成されたものといえるだろう。多くの欧米人にとって人生のゴールとは「幸せになること」だ。しかし一方で、「幸福」に強い抵抗感を抱き、幸福に嫌悪感を覚える人々がいる。

 その理由はさまざまだが、例えば、「この世は全てバランスがとれていて、至福を手に入れるということは、最悪な不幸が待っていることを意味する」と考える人もいる。

 人生で何よりも一番手に入れたいものは?という質問をすると、「幸せに暮らせれば十分」と答える人がほとんどだろう。しかし、「人間は本能的に悲しみよりも幸福を求めているのか?」、と問われればそれは確かではない。実際、最新の研究で「幸福」を求めるのは、人間特有の欲望というよりも、文化が生み出した産物だということが分かった。

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文化によって幸福の表現の仕方は異なる

 たいていの人にとって幸福とは好ましいものだ。しかし、この世には、幸福なのに両手を上げて喜ばない人もいる。幸福を好ましいと思っている人は、幸せそうな人や幸せな人を見ればそれだけで万時順調だと思えるし、反対に、いつも不幸そうな人を見ると、あの人は大丈夫かしら?と心配してしまう。

 しかし、欧米以外の文化では、異なる幸福の見解がある。自分が幸せと感じることは、自分のみの状況や心情に焦点をあてているからであって、個人を超えたより大きな善を幸福としているわけではない。さらに、大きな善と個人の幸福が相容れないことが多々あるのは周知の事実である。

 東アジアの人々の中には、幸福を表現すること不適切だと考える人もいる。実際日本では、「自分の幸せをひけらかすのは好ましくない」と考える人もいるのだ。

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個人主義的幸福は悪であるという概念

 ニュージーランドにあるビクトリア大学は、「幸福に関する概念の違い」、「幸福の重要性」に焦点をあてた研究を行った。その結果、幸福を追い求めることが人生であり、幸福こそが人生のゴールとする一般的な考え方とは驚くほど異なる思想があることが判明した。

 研究では、否定的感情を伴わない満足のいく状態のことを”幸福”と定義づけ、どのくらい幸せなのか、だけではなく、他人の幸せをどうとらえるのかを調べた。その結果、これまでの幸福に関する研究は、幸福に関する全ての考え方とは完全に反対だったことを示唆している。

 まず、一口に幸福といってもその中身は実に多様で、お給料が上がった時に感じる「幸福感」と愛犬が玄関であなたの帰りを待ちわびているのを発見した時の「幸福感」は別のものである。さらに、先に述べた幸福感はとても自己中心的で、個人主義的な感情によるものだとして、このような幸福を問題視する文化もある。

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幸福は不幸の前兆であり平穏を求めるのなら幸福は望まない

 少数の欧米人や非西洋文化圏の大半の人は、幸福は不幸の前兆だと考えている。とても幸福で人生を楽しんでいる人には、そのうちおぞましい悲劇がおきる、と言われているように、幸福は常に悲惨な結末をもたらすものと考えられている。

 これは、非西洋文化圏においては一般的な考え方であり、西洋人でもこの思想を知っている人は多くいるし、同じ意見だという人もいる。幸福は恐れるもので、不安を与える自己達成的予言であると。幸福を回避することと、安心を求めることには明確な相関関係がある。

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幸福になることを戒める教え

 幸福を回避する思想は道教に基づいている。道教には「世の中は二元対立で出来上がっている」という思想がある。黒があれば白があるように、闇があれば光があるように、電気にプラスマイナスがあるように、物事はバランスをとるようにできているというのが基本的な教えだ。

 韓国では、幸福は将来悲しいことが待っているという兆候だと信じられているし、イランでは、「大声で笑うと、悲しみが起きる」という表現があるほどだ。これは、まさしく、幸せになるという状態が何を意味するのかを表している。キリスト教では、幸福は認められている。(それが神の愛によるものならば...さもなければ、それは悪とみなされるであろう)。

 また、ある文化では、幸せなになることは道徳的に堕落した人間になるとされている。イスラム教の多くのグループでは、至福は避けるべきと信じられている。なぜなら真の幸福は神にのみ与えられるもので、感情や日常的なことや世俗的なものではないからだ。

 作家や芸術家にとっても、長い間、幸福とは天賦の才能や独創性を壊す可能性のあるものとして考えられてきた。他にも、想像できないほど不正に溢れた環境下で暮らしているものにとっては、幸せになるということは、道義に反する生き方と考えている人もいる。


via:knowledgenuts・原文翻訳:melondeau


 まさに私も「幸福は不幸の前兆」と考えてしまう方で、降ってわいたような幸福に一瞬はうれしくなるものの、「何か悪いことの前触れでは?」と素直に喜べない。だが逆に、不幸のどん底やトラブル続きの時には、次に待ち受けるのは幸福だと思えるので、逆境には強かったりもするわけだが、やはりこの考え方の背景には道教めいたものが働いているのだろうか?さて、みんなはどうだろう?幸福を素直に心から喜べるかな?


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