任天堂「岩田聡」の見た夢は、我々の手の中に

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任天堂「岩田聡」の見た夢は、我々の手の中に

任天堂の代表取締役社長であった岩田聡がこの世を去ると、彼の業績が各マスコミで続々と取り上げられるようになった。

Appleのスティーブ・ジョブズが死去した時もそうだったが、偉大な経営者の功績は本人の死をきっかけにして世間一般の市民に認知されるということが多い。開発者の足跡も、それが道半ばで途絶えてから初めて大衆に意識される。今現在、人々は岩田の残した言葉を後追いすることに夢中だ。

ここで、もう一度世間に問うてみよう。

岩田聡という人物は、我々大衆の在り方をどう変えたのか?

■ 偏見と高グラフィック化

デジタルゲーム業界は、行く先々で常に「大人たちの偏見」と戦ってきた。

任天堂がファミリーコンピューターを発売してから、学校関係者や教育評論家はいつも批判の矛先をゲーム機に向けていた。曰く「少年犯罪はゲームの影響」、曰く「ゲームの残酷性が少年の人格を変えてしまう」等々、特に統計を取ったわけでもない説がマスメディアを通じて大々的に叫ばれていた時期が長く続いた。

岩田が任天堂の代表取締役社長に就任した2002年、実はゲーム業界に対する世間の風当たりが最も強い時でもあった。とある脳科学者が問題提起した「ゲーム脳」が、学校関係者を中心に支持を集めたのだ。「ゲームをしている最中の人の脳波は、認知症患者のそれと同じ状態である。やはりゲームは危険だ」という学説だ。

結論から言えば、この説は医学界から「疑似科学」と酷評された。と同時に大きな禍根を残してしまった。一時的にでもゲーム会社のプログラマーを悪者に仕立ててしまった、という取り返しのつかない過ちである。無理もない。「ゲームプログラマーの仕事は脳を殆ど使わない」などという、名誉毀損も甚だしい珍説を教職員ですらも口にしていたのだから。

そしてそんな状況に背を向けるかのように、ゲーム業界自体もコアなユーザーばかりを相手にしたソフトを開発するようになる。

折しもこの時期、ソニーのプレイステーションが先鞭をつけた「ゲームの高グラフィック志向」が軌道に乗り始めた。より高度な画像描写と、それに相応しい複雑なストーリーがゲームソフトのトレンドになった。

その行く先は詰まる所、「マニアにしか分からない世界」だ。どうせ大人たちはゲームのことなど理解してくれない。それならば、分かる人間だけを対象にした世界を築こう。2000年代前半のデジタルゲーム市場は、そうした空気がはっきりと滲み出ていた。

社長になって統計資料を見てみると、日本のゲーム産業のソフトウェア出荷額は97年から下がり続けている。取材に来られる記者も、昔はゲームをやっていたけれど、いまはやりませんという人ばかり。業界自体は明らかに先細りなのだという現実に、思わず冷や汗が流れました。えらい時に社長を引き受けてしまった、と思いました。

ゲーム業界は、危機を迎えていたのだ。

■ 説明などいらない

岩田に限らず、スティーブ・ジョブズも「ユーザーへの説明」ということを殆どしなかった。「これが我々の新商品の取扱説明書です」と言って分厚い冊子を顧客に渡した時点で、経営者としては負けである。だからこそ、彼らはユーザーの「直感」に訴えかける。任天堂のトップになったあとの岩田のゲーム作りは、常に「直接伝わるもの」を意識していた。

その第一弾がポーダブルゲーム機「ニンテンドーDS」と、それに付随する「脳トレもの」のソフトである。

ゲームをしないと思っていた人たちにもゲームをしてもらう方法はある。5歳から95歳まで誰でも同じスタートラインでゲームを楽しんでもらうのは決して不可能ではないことを脳トレは証明してくれた。

ニンテンドーDSのソフトに、複雑な説明はいらない。というよりも、インターネット時代に生まれた少年と幼少期に第一次世界大戦を経験した高齢者が共に同じゲームをプレイするとしたら、「説明不要」がソフト開発の絶対条件となる。

当時最先端テクノロジーだったタッチスクリーンを採用したことも、DSにとっての大きなアドバンテージとなった。これにより、ややこしい入力コマンドを省くことに成功した。ライバル社の製品よりも段違いの操作性を有するDSは、全世界で1億5000万台を売り上げるベストセラー機となった。

さらに岩田は2006年発売の据え置き型ゲーム機「Wii」でも、DSと同様の要素を加えた。プレイステーションシリーズが実施しているような高グラフィック路線とは距離を置き、代わりにユーザーが実際に身体を動かして操作するコントローラーを取り入れた。これにより、「本当にスポーツができるゲーム」というものが具現化したのだ。

DSとWiiの両輪により、任天堂はソニーに奪われていた「家庭用ゲーム業界の王座」を取り返す。岩田の理想が花開いた瞬間でもあった。


■ ゲームは万人のもの

もし今のゲーム機の10倍のパワーを持ったゲーム機が登場したとして、それを自分は認知できても、家族は使いこなせますか? 違いの分かる人だけを相手にするのは危険だ。

開発者としての岩田の基本スタンスは、まさにこの言葉に集約されている。そして付け加えるなら、世界最先端のハードが買えるだけの所得を手にしている市民は地球上にそうはいない。

新興国や発展途上国では、今でも家庭用ゲーム機は数世代前のものが主流である。ここではインドネシアを例に挙げよう。同国の首都ジャカルタの最低法廷賃金は200ドルほど。それで一家全員を養っているということも珍しくない。月々に捻出できる可処分所得だけでは、とても最新鋭機には手が届かない。

そしてインドネシアは、公用語をインドネシア語に指定している。これが英語かスペイン語ならば、ソフトの言語ローカライズの対象になりやすい。しかしインドネシア語では、そうしたことが難しい。従って同国では、映画のような複雑なストーリーのゲームは敬遠されがちだ。

となると、インドネシアでは岩田が唱えていたような「性能そのものよりも、誰しもが共に楽しめるゲーム」がより人気を集めやすいのだ。もちろんそれは、インドネシアに限ったことではない。この世に今いる人の大半は、100ドル以下の月収で生活している。

岩田聡の敷いた道は、すでに日本列島を越えている。彼のイノベーションは、もはや現代人のライフスタイルに密着した。だからこそ、今一度世間に問いかけようではないか。

岩田聡という人物は、我々大衆の在り方をどう変えたのか?

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