巌流島と名刀「厚藤四郎」の不思議な縁(4)
猪木対マサ斎藤の一戦や宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘で有名な下関の巌流島は、明治期に隣接する岩礁が爆砕されるまで、関門海峡の難所としても知られていた。その岩礁は篠瀬と名付けられていたが、転じて死の瀬とも呼ばれるほど多くの船を沈めており、天下人たる豊臣秀吉すら遭難した魔の海域である。 ただ、秀吉の遭難については文禄元年(1592年)に肥前(佐賀県)の名護屋城から大坂へ帰る途中の出来事であることと、当時14歳...
猪木対マサ斎藤の一戦や宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘で有名な下関の巌流島は、明治期に隣接する岩礁が爆砕されるまで、関門海峡の難所としても知られていた。その岩礁は篠瀬と名付けられていたが、転じて死の瀬とも呼ばれるほど多くの船を沈めており、天下人たる豊臣秀吉すら遭難した魔の海域である。 ただ、秀吉の遭難については文禄元年(1592年)に肥前(佐賀県)の名護屋城から大坂へ帰る途中の出来事であることと、当時14歳...