鎌倉幕府執権北条時政が加担した将軍暗殺計画の裏に「後妻の影」!

日刊大衆

写真はイメージです
写真はイメージです

伊豆国(静岡県)の豪族に過ぎなかった北条氏が事実上、鎌倉幕府を支配することができた要因は、北条時政の長女である政子が当時、伊豆に流されていた源氏の棟梁・源頼朝の妻となり、一族として苦難を共にしたことに尽きる。  だが、初代将軍の頼朝が建久一〇年(1199)一月に死去したあとに幕政を担った時政は元久二年(1205)閏七月、息子である義時に政界を追われた。はたして何があったのか――。  時政らが、鎌...

「鎌倉幕府執権北条時政が加担した将軍暗殺計画の裏に「後妻の影」!」のページです。デイリーニュースオンラインは、幕府大河ドラマ歴史カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る

人気キーワード一覧