法華宗が公開討論で浄土宗に惨敗「安土宗論」は織田信長の謀略か!?

日刊大衆

写真はイメージです
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天正七年(1579)五月二七日、織田信長が岐阜から移った安土城下で、法華宗(日蓮宗)と浄土宗の宗教論争が行われた。これを「安土宗論」といい、信長は甥である織田信澄(明智光秀の娘婿)らが厳重に警護する中、行事(判者)役として南禅寺の長老を招いて宗派の優劣を競わせたのだ。今で言うこの公開ディベート(討論)は当時、大きな話題を集め、公卿らも日記(『兼見卿記』『言経卿記』)に宗論の結果を記している。 ...

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