武藤敬司インタビュー “アントニオ猪木1万円事件”とは!? (4/5ページ)
試合で使ったアイテムを展示企画とかにできればいいよね。
武藤 新日本辞める時に倉庫にみんな置いてきちゃったよ。で、グレート・ムタの商標権って新日本が持ってんですよ。
柴田 あらら。
武藤 当時、新日本で麻雀が流行ってて、坂口さんと倍賞(鉄夫)さんとかで麻雀やるぞって時に俺、遅刻してったのよ。そしたらむこうはカリカリしてて。「まずこれを書け」っていうのよ。それが商標登録の契約書で。
柴田 わけもわからず。
武藤 値段が75万円だかいくらか必要ってのを会社が払ってくれると。じゃあ、わかりましたって書かされて。ちょうど大仁田(厚)が新日本に出た時かな。
柴田 じゃあ、99年の、ムタvsニタの時ですね(8月28日・神宮球場)。
武藤 で、新日本を辞める時に、そういうムタの道具を倉庫に置いてきちゃって。ところが、しばらくすると、新日本の東京ドーム大会からオファーがきて。これ幸いと、坂口さんに「ちょっとムタの道具返してくれませんか? そしたら出ますので」って言って。
柴田 東京ドームに出る条件で、返してもらったと。全日本の九段下の事務所に飾られてましたよね。
武藤 でも、結局、全部取り返したわけじゃないのよ。
柴田 大切に保管してほしいですね。
※全文の一部分を抜粋。全編は本誌「逆説のプロレス vol.2」にてお楽しみください。
取材◎若瀬佐俊
徹底追跡、大特集。