鶴久政治、知名度は6%―チェッカーズの解散知れされず
元チェッカーズの鶴久政治が、30日に放送された「しくじり先生」(テレビ朝日)に出演。
トップアイドルグループの一人として活躍しながらも、空気みたいな存在であったことを明かした。
チェッカーズは1983年にデビュー。
セカンドシングルの「涙のリクエスト」が大ヒットし、チェッカーズの髪型を真似る人が増えてブームになった。
メンバーの中心はボーカルの藤井郁弥。
最近の調査で、郁弥の知名度は91%だったが、鶴久の知名度はたったの6%だったことを明かした。
デビューして10年で解散。
しかし、鶴久はその相談話をまったくしておらず、決定事項として知らされたことを明かした。
その理由として、「自分は、いてもいなくてもいい空気みたいな存在だったから」とのこと。
デビューが決まったときも、鶴久がメインボーカルで歌っていた曲が、スタッフにより郁弥に変更されていた。
鶴久はサイドボーカルになり、歌詞を見ると自分のところは「う~わ~」ばかり。
多少の疑問はあったが、チェッカーズが売れればいいとの思いがあり、「楽だしまあいいか」と思ってしまったそう。
その後、どんどんチェッカーズは売れて、ツアーで全国をまわるようになると各地で豪遊。1ヶ月の飲み代は1,000万円にもなった。
ホテルもファンが殺到するために、1フロア60室を借り切り、どこの部屋にも泊まれたことを明かした。
解散後は、それぞれがソロ活動。
その後、高杢禎彦が本を出版したことで、マスコミにより高杢派と郁弥派の派閥があるように言われていたが、「派閥は一切なかった」と否定。
仲の良いグループだったのに、マスコミにより派閥ができてしまったために、バラバラになってしまったという。
また、徳永善也が亡くなったことで、チェッカーズの再結成はもうないと感じたとのこと。
しかし、空気みたいな存在である鶴久だからこそ、再結成はなくても、「また1回みんなで飲みましょう」と言える存在だと語った。