【壮絶な貧乏生活】なぜ大沢ケイミはシンデレラになれたのか?
「結婚相手に求めるのは、お金と権力」
そんな発言で注目されるタレントの大沢ケイミさん。19歳で年上の実業家と結婚した超セレブ妻として、メディアをたびたび騒がせる、今気になる存在の一人です。
冒頭のセリフをはじめ、いかにも“敵を作りそうな”発言を躊躇なく言い切る彼女ですが、その姿に「考えが一貫している」「物怖じしなくてかっこいい」「清々しさを感じる」などと好感を持つ女性も増えています。
ANGIEでは、そんな大沢ケイミさんのお金への考え方、仕事観、人生観に迫ります。まずは、大沢ケイミさんのゆるぎない価値観はどう作られていったのか。その生い立ちからお話を聞きました。
極貧生活・・・それでも「シンデレラになる」と信じていた幼少時代
「大人になったら、貧乏から抜け出して母ちゃんをしあわせにする。それが私の原動力でした」
そう断言するケイミさんは幼少時代、中国で母一人娘一人の貧乏生活を送っていたと言います。
「住んでいたのは、祖父が石を重ねて作った家」「窓ガラスはなく、冬は窓ガラスの代わりに新聞紙」「冷蔵庫はなく、おかずは常に味噌」「お米は水に浸して食べる」など、想像を超えた極貧ぶり。ペンケースを買えず、学校には鉛筆を輪ゴムでまとめて持って行ったそうです。
「母(かあ)ちゃんは文字通り身を粉にして働いて、私を育ててくれました。『ケイミは貧乏だけど、恥ずかしいことじゃない。ケイミだって、人の2倍3倍頑張ればシンデレラのように幸せをつかめるんだから』と、幼い頃から幸せをつかむための教育が始まりました。
食事をするときの姿勢、ナイフやフォークの持ち方、歩き方を徹底的に教え込まれ、フランス料理なんて見たこともないのに、ペンをナイフとフォークに見立てて、紙に書かれたお皿を前にお肉の切り方を練習させられたり。
小学校に入る頃にはすっかり上品な所作が身につき、友達はみんな『ケイミは名家のお嬢様なんだ』と思っていたみたいです。制服だったから、バレなかったんですね(笑)」
小学校の途中で、「中国では中学、高校の学費が高くて通わせられない」と、身のまわりの家財を売ってシンガポールに移住。
見ず知らずの5家族がボロボロの家で共同生活をする極貧生活を送りながらも、「娘には絶対幸せをつかんでもらいたい」という母の一心で、ケイミさんはバレエ教室に通い始めます。
「こんなに貧乏なのに、なんでバレエなの⁉ と思いましたが、美しい立ち居振る舞いや自分をどう見せるかを表現する力は、バレエによって鍛えられました。
お金がないなか通っているので、お月謝分以上に学ぶんだ! と毎回必死。吸収する量も他の子とは比べものになりません。
レッスンの送り迎えのバスでは、母ちゃんのバス代がなくて私だけバスに乗って、母ちゃんは1時間半かけて徒歩で帰ってきたことも。
足のマメがつぶれて痛い痛いと涙している姿を見たとき、私は、『何としてもこの生活を抜け出して母ちゃんをラクにしてあげよう』と心の底から思いました。小学校高学年の時です」
「こんにちは」しか話せず日本語を猛勉強
ケイミさんが日本に来たのは高校生になってから。実の父が日本とアメリカのハーフだったことから、自分のルーツのひとつである日本に興味を持っていたと言います。
「母が私の教育費を稼ぐために日本にいたので、追いかけるように来ました。でも、話せる言葉は『こんにちは』くらいで日本のことは何にも知らなかったんです。
シンガポールの高校の通信教育を受けながら空いた時間はすべて日本語の勉強に費やし、さらに日本語が片言でもできるバイト先を見つけてお金を貯め始めました。
中国に家はないし、シンガポールに居場所もない。ここで生きていくんだと覚悟を決めていましたね」
「営業で生きていく」とキャリアを描いていた矢先、19歳で今の旦那さんとスピード結婚
バイトをいくつも掛け持ちしながら4年制大学の経営学部に進学したケイミさん。その日本語習得能力に驚きますが、入学した時点で描いていたキャリアデザインにもまた驚かされます。
「自分の力でお金を稼ぎ、母ちゃんに恩返しするためにと考えたのが、『営業会社を経営する』ということでした。
極貧生活の中で3カ国を経験し、人に支えられながらなんとか生きてきて、人のさまざまな価値観に触れてきました。この経験は人を相手にした仕事で絶対に生きるだろうと思い、営業として生きていこうと思ったんです。
少々のことではへこたれない自信もあったので厳しいノルマにだって耐えられるはずだと思い、企業に属してトップ営業になってから自分で会社を興そうと計画を練っていました。大学では経営学を勉強しながらバイトをし、空いた時間で『売れる営業ノウハウ』みたいな啓発書を読みまくりましたね。
まさか、19歳で結婚するとも、20歳で芸能界デビューするとも思っていなくて、すべてが想定外! でも、理想のすべてに当てはまる男性が目の前に現れ、付き合って3カ月でプロポーズされたときは、『人生って悪くないな』と思っちゃいましたね(笑)」
母ちゃんの教えをすべて糧にして、今がある
「『シンデレラになるためには、美しい立ち居振る舞いが大事』という母ちゃんの教えが、私を作った」と話すケイミさん。
「初めて彼とフレンチ・レストランに行ったときも、何も動揺することなく料理を楽しめ『いいご家庭で育ったんだね』と言われたほど。
貧乏だからと卑屈になることなく、自分に自信を持ってこられたのは、母ちゃんが、私の自尊心を何よりも大切に育ててくれたから。今でも『そんな笑い方、下品だからやめなさい』『姿勢が悪いわよ!』と本当に口うるさいんですけどね(笑)」
まさに、現代のシンデレラストーリーを地で行く大沢ケイミさん。“19歳で実業家を射止めたセレブ妻”という華やかなイメージと、テレビで目にするちょっとおバカな印象とはまた違う顔に、何度も驚かされました。
言葉の端々ににじむ芯の強さは、その生い立ちがあったからこそ、なんですね。
では、ケイミさんがトップ営業を目指す道ではなく、結婚を選んだ理由は何だったのか。次回の記事では、大沢ケイミさんの恋愛・結婚観を深堀っていきます。
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