田宮二郎の妻“没後38年目の初激白”(7)「家族に“貧乏”という思いだけはさせたくない」 (2/2ページ)

アサ芸プラス

精神が壊れていく過程にあって、ありもしない詐欺話にのめり込んでいったんです」

 田宮は大映・永田雅一社長との衝突から映画界を干された時期があった。テレビドラマにも出演することが許されず、司会者や歌の営業をすることで糊口をしのいだ。妻と、2人の幼い息子に「貧乏」という思いだけはさせたくない‥‥。そんな責任感が田宮を休む間もない仕事に追い立て、そして、崩壊に至ってゆく。

「大映にいた頃も、結核が再発して、ペニシリン注射を打ちながら撮影を続けたこともありました」

 幸子夫人は「田宮企画」の代表として、長期休業を決断。それでも、夫人のあずかり知らぬところで「白い巨塔」が動き出し、休むことがかなわなくなった。

 田宮も休養の必要性は感じながら、それができなかったと遺書に綴っている。

〈僕は結婚以来、がむしゃらに働いた。経済的に誰にも不安を与えたくなかったから。本当は素朴なあたたかい生き方もある筈なのに、それを知りながら、働くことしか生き甲斐を知らない人間になって行った〉

 気づくのが、遅かったのだ‥‥。

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