「清原に恩返ししたい」覚せい剤逮捕後も慕い続ける後輩OBとマスコミ関係者
清原和博容疑者(48)の覚せい剤逮捕のニュースを聞き、何とも言えない寂しさを感じた。『プロ野球 KKコンビとライバルたちの名勝負研究』(スコラマガジン)を筆頭に、筆者は数多くのムックや書籍で清原を取上げたからだ。4番打者としての凄み、500本を超える本塁打の数々といった栄光から、年俸に見合わない成績に対する批判記事などを、何度も編集・執筆させてもらった。
今回のニュースを受けて、数名のプロ野球OBに電話を入れた。ノーコメントという人がほとんどだったが、清原と同時期に過ごしたある選手は、「今も清原さんには感謝しかない」と前置きして、こんな話を語ってくれた。
「球団をクビになり、故郷に帰ってサラリーマンになります、と挨拶したときのこと。キヨさん、ポンと僕に財布をくれたんです。『こんなもの……う、受け取れません』と恐縮すると『いいから取っておけ。これからいろいろあるだろうけど、頑張れよ』と。後で中を見ると100万円入ってました。そのお金で、半年間、職探しをしながら家族を養えたんです」
今はスーツに身を包むこの選手、引退後は一度も清原と会ってないそうだが「僕にできることなら恩返しをしたい。あのときの恩は忘れることができない」という。
「番長日記」でもフリー記者には優しく応対した
清原を追いかけていた『フライデー』(講談社)の名物記事「番長日記」。「オウ、ワイや。巨人の番長、清原や」で始まる名作だが、その関係者が、こんな話をしてくれたことがある。
「清原を直接、取材していたのは弁も立たない、冴えないフリー記者だったんですが、自分より現役時代の実績が下の監督に干された清原は、彼にシンパシーを感じたのではないかと思います。編集者の命令で動く彼に『オレ、はっきり言うてフライデー、嫌いやで…けど、自分(記者)らも、家族のために、こんなキツい仕事、がんばっとるんやろな』と」
「番長日記」最大の名場面である、記者運転の車に乗り込んでのコメントも、巨人で自分より下の実績である監督に命令された清原が、編集部の命に従って動くフリー記者に「立場が下」という境遇を重ね合わせたものであろう。
この関係者が最後に言った「薬や暴力団絡みのスキャンダルなど、くだらないニュースで清原を追い掛けるのは本当に悲しい」との言葉は、謀らずも現実のものとなってしまったが、こんな話など氷山の一角でしかない通り、清原には好感のもてるエピソードがいっぱいあった。
それらをすべて消し去ってしまう過ち。業界の片隅にいる野球本編集者として、今は虚しさしか感じられない。
人間、一度の過ちは許される。江夏豊氏のように、一度の過ちを人生の糧として「周りにいる人たちを裏切らない」生き方を、清原和博に望みたい。
二度と麻薬に手を染めず、子どものころのように、暗くなるまでボールを追いかける少年たちを指導する姿こそ、野球人としてのやり直しであり、野球界への恩返しだ。
- 小川隆行(おがわたかゆき)
- 編集者&ライター。『プロ野球 タブーの真相』(宝島社刊)シリーズなど、これまでプロ野球関連のムックを50冊以上手がけている。数多くのプロ野球選手、元選手と交流がある