天安門事件から27年…中国人漫画家が語る”鄧小平の真実”
こんにちは、中国人漫画家の孫向文です。1989年6月4日に発生した「六四天安門事件」からまもなく27年をむかえます。民主化を求める学生たちを人民解放軍が徹底的に弾圧したこの事件は、世界中に衝撃を与えました。
事件当時、中国の事実上の最高指導者は「鄧小平」という人物でした。中国に経済発展をもたらし現在の体制を築いたといわれる鄧小平ですが、今回は彼が残した功罪を検証します。
■鄧小平が中国に残した功罪
1977年に中国共産党副主席に就任した鄧小平は、文化大革命により最貧国化した中国を近代化するために、日本やアメリカといった資本主義国家を訪問し様々な先進技術を学びました。その後、鄧小平は国内に4つの「経済特別区」を設けるなど、中国に資本主義経済を導入しはじめました。
中華人民共和国の創設者である毛沢東は経済に疎い人物で、「計画経済」と呼ばれた彼の無能な政策は国内に飢餓と貧困をもたらしました。それに対し、「改革開放」と呼ばれる鄧小平の政策により中国の市場は一気に活性化し、飛躍的に経済が発展しました。僕の両親も改革開放にともない、個人事業を開始して貧困から脱出した経験があるそうです。そのため、僕の両親の世代は鄧小平を賞賛する人物が大勢存在します。親から成功譚を聞かされていた僕自身も子供の頃は鄧小平を崇拝していました。
しかし改革開放は、あくまでも共産主義社会に資本主義経済のシステムの一部を加えたという歪な政策であり、中国国内を民主化したわけではありません。そのため経済発展によって発生した利益は、現在政治家や政府の役人たちによってほぼ独占され、中国の一般市民は多額を支払って購入した家屋や土地を「国有地」として数十年後に返却しなければなりません。
現在、鄧小平の遺族たちは国家の資本を外国に投資することにより多額の利益を得ているそうです。「中国近代化の父」などと言われる鄧小平ですが、僕は「毛沢東よりはマシ」、「中共政府に利益をもたらした」程度の指導者としか思えません。
さらにいうと六四天安門事件当時、鄧小平は天安門広場に軍隊を集結させ、無力な学生たちを何百人と抹殺したのです。その事実は中共政府により長らく報道が禁止されていたのですが、反政府活動の徹底した弾圧、隠蔽体質など鄧小平が指示した活動はまさしく共産主義国家のそれであり、この事実からも彼が毛沢東やスターリンと何ら変わらない強権的な独裁者にすぎないことがお分かりいただけるでしょう。
僕自身は、現在の中国の反日体制は鄧小平の政策がきっかけになっていると思います。1978年の日中平和友好条約締結時、来日した鄧小平は日本側に日中戦争時の賠償金を支払う代わりにODA(政府開発援助)を提供するよう求めました。日本側の資金や技術提供は中国に大きな発展をもたらしましたが、GDP(国内総生産)が世界第2位になった現在もなお中国は日本にODAを要求し続けています。つまり鄧小平の政策とは日中間の友好を求めるものではなく、日本の侵略行為を利用した「ゆすり、たかり」のようなものだったのです。
1989年の六四天安門事件以降、鄧小平はそれまでの日中友好路線から突如方針を転換して露骨な反日政策を開始しました。おそらく日本という「仮想敵国」を設定することにより、天安門事件によって生まれた中国国民の政府に対する反感を逸らすための政策でしょう。
現在、日本の与党である自民党は中共政府に対しどちらかといえば対立姿勢、民進党、日本共産党など各野党は親中的な姿勢をとっています。ですが、「反中派」、「媚中派」どちらが政権を獲得するにせよ、中国側は日本の体制を体良く利用し続けるでしょう。僕は経済的、そして日本人のプライドを傷つける媚中政策よりも、中共政府の暴政に立ち向かう反中政策の方がはるかに良策だと思います。
鄧小平が行った改革開放は、自由と民主化をもたらさず政府の増長と軍事力増加を招く結果となりました。中国共産党の政治家が実権を握っている限り、中国が民主主義国家へと生まれ変わることは不可能です。僕は日本のみなさんが六四天安門事件の真実を知り、中国に対する危機感を高めること、そして中国の民主化を応援してくださることを願っています。
著者プロフィール
漫画家
孫向文
中華人民共和国浙江省杭州出身、漢族の31歳。20代半ばで中国の漫画賞を受賞し、プロ漫画家に。その傍ら、独学で日本語を学び、日本の某漫画誌の新人賞も受賞する。近著に『中国のもっとヤバい正体』(大洋図書)など。
(構成/亀谷哲弘)