有吉弘行にバナナ設楽、付き人時代の「信じられない珍エピソード」

日刊大衆

有吉弘行にバナナ設楽、付き人時代の「信じられない珍エピソード」

 演歌界の大御所、北島三郎(79)の付き人で演歌歌手の長井みつる(52)が、4月30日放送の『有吉反省会』(日本テレビ系)で、北島が仕事で旅行に出て不在のとき、庭の掃除をして集まった落ち葉を燃やしたところ、消防車が5台ほど駆けつけるボヤ騒ぎを起こしていたことを告白し、話題になった。芸能界には昔から大御所芸能人の側で世話をしながら芸を盗み取る、付き人という師弟関係がある。長井のような困った付き人はそう多くないが、現在、大人気の芸能人も意外な大物の付き人を経て、売れっ子になった人も多いのだ。

 歯に衣着せぬ毒舌で再ブレイクし、多くのレギュラー番組で活躍している有吉弘行(42)は関西の大御所漫才コンビ、オール阪神・巨人のオール巨人(64)の付き人だった。1993年、当時18歳だった有吉は、深夜番組『EXテレビ』(日本テレビ系)で行われた「オール巨人公開弟子面接」に応募。見事に合格して弟子になった。しかし、その半年後、有吉が別の弟子を殴ってしまい「乱暴者はいらん、ちょっと休んどけ」と謹慎を言い渡されてしまったという。その謹慎中、有吉は勝手に上京して猿岩石を結成すると、1996年に『進め! 電波少年』(日本テレビ系)のヒッチハイク企画で大ブレイク。有吉はヒッチハイクからの帰国後、すぐにオール巨人の楽屋を訪れ、相方と一緒に土下座して謝ると「これで正式に破門や。お前もつらかったんやろ」と、声をかけてもらったそうだ。

 バラエティ番組の司会者として活躍している、くりぃむしちゅーの上田晋也(46)と有田哲平(45)は、ベテランお笑いコンビ、コント山口君と竹田君の付き人だった。1991年、山口君こと山口弘和(59)が代表を務めていた芸能プロダクションを当時大学生の2人が「芸人になりたい」と訪ねると、山口は「中退して飛び込むか、卒業後にあらためてチャレンジするか、どっちかに決めたほうがいい」とアドバイス。上田は単位の問題もあって、あっさり退学。有田は少し迷っていたが、その直後に父親が亡くなってしまい、学生生活を続けるのが難しくなったことから踏ん切りがつき、弟子入りを決意。有田は山口の、上田は竹田君こと竹田高利(59)の付き人になった。当時のコンビ名、海砂利水魚」は山口と竹田の命名で、由来となっているのは伊豆にある同名のカレー店らしい。

 司会や役者としても活躍している、バナナマンの設楽統(43)は高校卒業後、西武鉄道に就職して西武池袋線の小手指駅の駅員として働いていたのだが、約半年で退職。フリーター生活をしているうちにお笑い芸人を目指すようになり、父親の友人の紹介でコント赤信号の渡辺正行(60)の付き人になった。朝、家に行って起こしたり、風呂の準備をしたり、その日に着る服を出すなど、身の回りの世話のほか、渡辺がお笑いタレントの山田邦子(55)から買った高級自動車、セドリックのリムジンも運転していたらしい。ところが、「(車体が長いから)お前気をつけてやりなよ」と注意したにもかかわらず、いきなり初日にぶつけてしまい、横っ腹を凹ませてしまったそうだ。

 また俳優の椎名桔平(51)は長い下積み生活を経験していて、その間、俳優の寺田農(73)の付き人をしていた時期がある。椎名は大学時代、サッカー部に所属。1年の後半にはレギュラーでピッチに立つようになっていたが、スポーツメーカーのCMに出演したことがサッカー協会にバレ、アマチュア規定に抵触したことから半年間の謹慎処分を受けてしまう。これをキッカケに芸能界を目指すことになった椎名は、21歳の時に先輩が経営するスナックで寺田と知り合い、お互いが大のサッカー好きということで意気投合。「付き人は2年もやれば、現場のこともわかる」と言われ、大学を卒業する頃まで世話になっていたそうだ。

 付き人は師匠に寄り添い、人目につくことはないが、いつかブレイクするんだという、粘り強い気持ちがなければ務まらないのだそうだ。当然、成功した弟子の裏には、挫折した多くの若者たちがいるのだ。

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